人生意気に感ず「東京五輪の続き。アベベの栄光と陰。へーシンクに敗れた柔道。体操ニッポンの快挙」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「東京五輪の続き。アベベの栄光と陰。へーシンクに敗れた柔道。体操ニッポンの快挙」

◇2回目の東京五輪の開会式が目前に迫った。ここまで来てコロナ禍は益々猛威をふるい、東京は4回目の緊急事態宣言となり五輪の実現を危ぶむ声さえ聞こえる。いずれにせよオリンピックの歴史に残る一大行事である。今度の、大会は1964(昭和39)年の続きであると私は思う。そこであの時の感動をしっかり踏まえることが必要なのだ。そのために今日のブログは前日に続き東京五輪の「その2」となった。

 昨日、女子バレーの「東洋の魔女」及びマラソンの円谷を書いた。今日は、アベベ・柔道・体操について触れたい。エチオピアのアベベほどドラマチックな選手は少ない。「走る哲人」と言われ世界をあっと言わせたが、晩年は悲劇で41歳でこの世を去った。1960年のローマ五輪で突如として現れ裸足で走り、アフリカ初の金メダリストとなった。続く東京大会は虫垂炎の手術直後であるにも関わらず独走し史上初のマラソン2連覇を成し遂げた。しかし名声は「哲人」の名に泥を塗る結果となり淋しい晩年となった。私は目前の東京五輪・パラリンピックが真にコロナに打ち勝ったと言われるものになることを祈るばかりである。

◇柔道は日本の武道でありお家芸である。私は柔道少年だったこともあり東京五輪の柔道には特に注目した。柔道は第一回の東京五輪で、初めて正式競技となった。サムライの国の意地を示す場であった。4階級全て金が当然という空気があった。きれいな技を見て育った私にはおよそ柔道らしからぬプロレスのような展開にイライラしていた。当時「神猪時代」と呼ばれ神永昭夫と猪熊功の二人が柔道界を引っ張っていた。3階級で金を獲った日本の最大の課題は無差別級であった。神永とオランダの巨人ヘーシンクの試合は凄かった。神永は120キロの巨体に為す術もなく抑え込まれ敗れた。巨体が宙に舞う光景を期待していた私は残念でならなかった。柔道がJUDOとなった瞬間でもあった。

◇「体操ニッポン」と言われ体操もお家芸であった。引き締まった体が宙を飛ぶ姿は忍者を想像させた。体操ニッポンの象徴ともいえる存在が遠藤幸雄であった。児童養護施設で育った遠藤は刻苦勉励して大成しこの大会で初めて個人総合金を獲得した。彼は少年時代を過ごした児童養護施設に生涯寄付を続けたという。今回の五輪でも体操ニッポンは実現されるに違いない。(読者に感謝)