人生意気に感ず「コロナ禍から得る教訓とは。人類とウイルスの対決の歴史。G7サミットの行方」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「コロナ禍から得る教訓とは。人類とウイルスの対決の歴史。G7サミットの行方」

◇毎日、私はコロナの感染状況に注目する。12日の午後11時、本県の新規感染者は6人と知りほっとした。一時は2桁の数字が続いたのだ。コロナ戦争という表現は決して大げさではなかった。慣れというか、自分だけは大丈夫という感覚は怖い。世界的に鎮静に向いているとはいえ、12日現在の累計状況は感染者が1億8千万人に迫り死者は378万人を大きく超えた。この先のことについては祈る思いであるがそれはワクチンに懸かっている。正しく言えばワクチンを人類がいかに有効に使えるかに懸かっているということだ。膨大な投資によって開発したことを考えれば自国最優先が人情というべきだが、世界が一体化していることを踏まえればワクチンを使えない地域で猛威を振るう状況は直ちに自国に影響が及ぶ。

 今回のG7の主要な課題の一つにコロナ対策がある。大量のワクチンを世界に提供することが合意されている。新たに10億回分のワクチンをワクチンが手に入りづらい所へ供給するというのだ。これはコロナが図らずも人類が助け合うべきことを教えた形である。コロナとすれば人類が助け合うことは自分の敗けに繋がるのだから皮肉なことだ。

◇コロナの教えといえば限りなくある。ウイルスは気が遠くなるような長い歴史的産物である。生命の誕生を振り返ればウイルスは30数億年の歩みを続けている。その間に変身を繰り返して人類を脅かし続けてきた。人類はウイルスの変身と変身の間を活かして生き延びてきたともいえる。つまり歴史に学ぶことはウイルスに勝利するための鉄則であり、そこから教訓を得ることが何よりも大切なことなのだ。

 歴史に学ぶといえば約100年前のスペインかぜ及びつい最近(2009年)のメキシコの豚由来の新型ウイルスがある。日本政府は残念ながらこれからが十分な教訓を引き出して活かすことが出来なかった。

◇私は今回のコロナ世界戦争を見て一国をリードする政治の重要さを痛感する。そして、政治の在り方を決定する選挙の重要さを改めて主思う。その最も分かり易い例がアメリカ大統領選である。トランプ氏は偏狭なアメリカ第一を掲げアメリカ国民は彼を選んだためにマスク軽視に象徴されるようなコロナ対策のために重大な結果を招いた。これは今回のコロナ対応でとかく批判される民主主義の意義の問題でもある。これはG7が問う問題ともつながる。G7のことは明日書くことにする。(読者に感謝)