人生意気に感ず「一つの光明はワクチンだが。泥縄の民主主義と憲法。2009年の新型から学ぶこと」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「一つの光明はワクチンだが。泥縄の民主主義と憲法。2009年の新型から学ぶこと」

◇昨日1日の感染者が過去最多の自治体をあげたが全国の状況も酷い。8日の午後9時半現在で7,200人で東京と大阪はいずれも千人を超えた。日本はこれから雪だるまのように転げ落ちていくのだろうか。途方もなく多い高齢者の存在等を考えると不気味な不安に駆られる。天の一角に明るい光明を感じるのはワクチンの動向である。接種の受付が始まったところは予約の申し込みが殺到し混乱しているらしい。

 現在国内で使われているワクチンは米製薬大手ファイザー社製のもので2回の接種が必要である。接種が実際に行われる中で様々な課題が出されているらしい。一つは医療従事者への接種がなかなか間に合わないと言われる。医師の中には2回の接種が終らないまま接種に当たっている者もいる。この人たちは感染の危機に晒されている訳である。次は高齢者の問題である。世は超高齢社会、そして認知症社会である。高齢者施設によっては入所者の大半が認知症患者の所があると言われる。そしてワクチン接種には本人の同意が必要である。認知症の人には同意能力がない人が多い。その場合親族等の承諾で済ませることになるが、大変な数の高齢者に対応するのは容易ではないことだろう。

◇菅政権のコロナ対策は後手後手に回り厳しい批判に晒されている。こんな状態に対して民主主義は危機に弱いという声があがるのは無理のないことだ。民主主義は結論に至る過程を重視する。泥縄という言葉がある。泥棒を見てから縄をなうことを意味する。これを民主主義に当てはめれば危機に直面して法律を制定するということだ。普段から縄を用意しておかねばならない。緊急事態に対応する法制度である。これはコロナに限らない。そこで憲法に緊急時の備えを規定せよという議論が出るのも当然だ。これはじっくりと国会で議論しなければならない。

◇私は今回のコロナ騒動の中で2009年に発生した新型インフルエンザのことを痛切に思っている。県議会にいた頃、来る来ると言われて恐れられていたのが新型の鳥インフルエンザであった。それは東南アジアの鳥から発生すると懸念されていた。既に鳥から人に感染する段階にあった。新型はヒトからヒトに感染するもので時間の問題と言われていたのだ。ところが2009年、何とメキシコの豚から発生したのだ。東南アジアがメキシコに、鳥が豚に変わったがウイルスとはそんなものであるに違いない。幸に弱毒性であったためか我が国は十分な教訓にしなかった。そのつけを今味わっていると言える。

(続く)