「東大生の光クラブ事件」 2006年1月25日(水) | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

「東大生の光クラブ事件」 2006年1月25日(水)

※土日祝日は「議長日記」及び「議員日記」を連載します。上毛新聞社から出版したもので、議員時代の私の動きを海外の視察も含めて振り返ったものです。

 

 今日の社会は、時代の大きな転換点にあって、それは、明治維新、終戦後の状況にも匹敵するといえる。若者の突出した動きは、それぞれの時代背景の中で生れる。この度のライブドア社長の堀江氏の事件もまた然りである。

 堀江氏が小さい時から優秀で東大在学中に事業を起こしたことがしきりと語られるにつけ、戦後の混乱期に東大生の実業家が起こした光クラブ事件が思い出される。

 山崎晃嗣は一高から東大に進むが、学徒として出陣、終戦後法学部に復学し、仲間と光クラブという金融業を起こす。それは、出資者から集めた金を法外の利息で貸し付けるものであるが世間の注目を集めてすごい勢いで急成長し銀座に進出するまでになった。しかしヤミ金融として逮捕されたために事業は破綻し、彼は青酸カリを飲んで自殺した。これは昭和24年の出来事で、山崎晃嗣は27歳であった。

 当時の人々は敗戦によって心の支えを失っていた。戦前の価値観は崩れ去り、従来の思想や道徳に拘束されずに行動する若者たちはアプレゲールと呼ばれた。山崎は、アプレゲールの典型的存在だった。廃墟から立ち上がる人々の目標は唯一豊かさであり金であった。ここには食うための「金銭万能」があり、それはまた、山崎の行動の社会的背景であった。ただ、「光クラブ」の記述を読むと暗く冷たいイメージを強く受ける。そして、この出来事は、一つの犯罪として終わり、社会の流れに一石を投ずることにはならなかった。

 堀江氏の事件は、従来の価値観にとらわれない若者の行動である点は似ているが、暗いイメージはあまりない。図に乗って踊る軽くて陽気な若者の突出した行動という感じを受ける。しかし、彼の行動は日本の産業界に大きな一石を投じたことになりそうだ。現在の若者は、彼の行動全体から貴重な教訓を引き出すべきである。堀江氏は、今ごろ冷たい獄舎で何を思っているのだろうか。ほんの少し前の状況と比べると、正に天国と地獄の違いである。働くことを嫌う若者も濡れ手に粟を望む若者も、この現実をよく見詰めるべきだ。ホリエモンの事件は、この時代の転換点における見事な教材なのである。

 光クラブ事件とライブドア事件を見ると、戦後60年、日本の社会は金銭万能主義が変わっていない感じをうける。そして、豊かさの中の金銭万能は人間の心を根底から変えてゆく。今回の事件は、この流れを改める契機としても生かすべきである。