人生意気に感ず「3・11に10年前の原発集会を思う。経済か生命かを考える時。正しく恐れるために」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「3・11に10年前の原発集会を思う。経済か生命かを考える時。正しく恐れるために」

◇3・11から早いもので10年を迎えた。振り返って、この間原発事故の重大性と深刻さに思いを深めた。福島第一原発から離れた所に住む人は一般的にこの事故について関心が薄いと思われる。それは原爆に関して福島・長崎との関係についても同様である。

 2012年3月12日の高崎城跡公園の集会の光景が今甦る。原発事故のちょうど1年後の原発反対1,000人集会だった。当時私は自民党の県会議員であったが思うことがあったので請われたことがきっかけで集会に参加した。壇上でマイクを握った時予想外のことが起きた。目の前の赤旗が揺れるあたりから「何で自民党の議員が、降りろ」と激しい怒声。「黙れ」と私は大きな声で叫んだ。続いて現実を直視して段階的に考えなければ前に進まないと発言した。会場から大きな拍手が起きたのは意外だった。翌日の赤旗新聞には「勇気ある保守系議員」という記事が小さく載った。原発の問題について党派は関係ないと思って参加したのだった。その後の励ましのメールがいくつも寄せられたことが嬉しく思いを強くした。

 私は「国会事故調査委」や「福島原発事故独立検証委員会」の報告書に学び、ブログに書きふるさと塾でも取り上げた。

◇私たちは習性として忘却の達人である。あの過酷事故のことも多くの人の認識度が薄くなりつつあることを感じる。上の報告書では対策を怠ったために起きた「人災」だと厳しく指摘している。9日の新聞はアメリカの原子力規制委員会が事故当時、炉心溶融と分析し日本政府にも伝達していたと報じた。事故の前にもアメリカは原発の事故対策が不十分であることを警告していたが政府及び東電はそれを国民に知らせず打つべき対策を怠って3・11を迎えたのだ。情報は国民のものである。現在のコロナ禍で「正しく恐れる」ことの重要性が言われているが原発こそ正しく恐れることが重要である。そのためには情報が無ければ正しく判断は出来ない。最近、CO2ゼロと結び付けて原発再稼働を安易に考える人が増えている。原発事故10年の記念日は新たな巨大災害を見据えて日本人が心を引き締める日である。最近、各新聞の広告が大災害に備え3日間を生き抜くためと称して31項目の品を売り出した。群馬は「安全神話」を戒めるべきだ。(読者に感謝)