「アルゼンチン・ブエノスアイレス」①   2005年8月25日(木) | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

「アルゼンチン・ブエノスアイレス」①   2005年8月25日(木)

※土日祝日は「議長日記」及び「議員日記」を連載します。上毛新聞社から出版したもので、議員時代の私の動きを海外の視察も含めて振り返ったものです。

 

首都ブエノスアイレスの語源について、ガイドの説明では、ブエノスは「良い」、アイレスは「空気」を意味する。つまり、「良い空気」という意味。なぜこの名前を、となると諸説あるが、このまちがつくられたころブエノスアイレスという名の聖女がおり、それをとったとか。1810年5月25日にスペインからの独立運動が始まり1816年7月9日に独立を宣言した。そこで毎年「5月25日」は独立記念日として国をあげて祝う。又、「7月9日通り」というのがあり幅404メートルの世界一広い「通り」になっている。この近くにイギリスが寄付した塔が立っていて、「イギリス広場」があったが、私たちをテレビにくぎ付けにしたあのフォークランド紛争でイギリスに破れた後、アルゼンチン空軍広場と名称がかわったという。破れたとはいえアアルゼンチン空軍は勇敢に戦いイギリス軍を悩ませたからであろう。アルゼンチンがイギリスから奪おうとした島は英語ではフォークランドなのでフォークランド紛争と呼ばれたが、こちらではマルビナス諸島なのでマルビナス紛争と呼ぶ。1982年の出来事であった。群馬県人会25周年記念式典は、若い二世三世も参加して盛大に行われた。「移民は、昔は貧しい国から豊かな国へ行われたが日本が豊かになって移民の意味も変わったと思う。日本は世界の人々と共に生き、世界に貢献する役割を担う。そこで大切な存在は海外で活躍する日本人である。苦労して築いた日本人への信頼は何物にもかえがたい宝である。それを基礎にして県人会の皆さんと新たな絆をつくりたい。二世三世の皆さんとも緊密な関係をつくっていきたい。」(私の挨拶の骨子)。飯田領事は私の隣に座り興味のある現地の話をしてくれた。その一つを紹介する。岐阜県は「ギアリンクス」という法人を立ち上げて、1200ヘクタールの土地を6000万円で買ったという。岐阜の「ギ」とアルゼンチンの「ア」、そしてこの両者をリンクする(結ぶ)という意味で「ギアリンクス」と命名したらしい。将来の食糧難に備えるのだという。現在は大豆を作り管理は県人会の人にまかせている。大豆は国際作物なので必ず売れるから損はない。ところで最近変化が起きている。土地の価格が上がっているというのだ。※6000万円で買ったところは今、二億円になっている。それは中国が将来の食糧難に備えてブラジルとアルゼンチンで土地を買っているからだという。事態はそこまで進んでいるのかと驚いた。つづく