人生意気に感ず「10年前の衝撃を忘れるな。原発事故は人災だった」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「10年前の衝撃を忘れるな。原発事故は人災だった」

◇あれから10年、3・11が近づく。先日2月13日深夜の突然の大揺れの時、多くの人は10年前の再来かと思ったに違いない。とにかく福島・宮城両県では震度6強だったのだから。10年前の映画の特撮シーンのような光景がありありと甦る。振り返ればあの時2つの巨大災害が起きていた。津波と原発事故である。しかし、テレビに釘付けになった私たちにとって、より衝撃的だったのは津波だった。それは目に見える形で圧倒的な破壊力を示したからだ。しかし津波に劣らず日本の社会を根底から破壊の渕に追い込んだのが原発事故だった。現在でも目に見えない放射能の爪痕は被災地では延々と広がっている。そしてやり場のない汚染水は増え続けている。

 当時のブログを開くと、「東電も不可抗力だったのだろう」と私は書いていた。その後、この原発事故は「人災」であることが次第に明らかになった。その人災の実態を今はっきり確認することがあの事故を無駄にしないために必要である。そこで過酷な原発事故のその後に明らかになった要点を取り上げることにする。

◇地震の専門家は地質学の研究から仙台平野に大津波がくることを警告していた。この学者とは東北大学の箕浦教授で1968年の地震学会で研究を発表していた。仙台平野の地層を調べると周期的に巨大津波が襲っていた。その最大のものが869年の貞観津波だった。

 私は東日本大地震の数年後、宮城県のある自治体を訪ねた時その市長が「歴史は嘘をつかない」と強く訴えていたことが耳に焼き付いている。

◇福島第一原発の敷地の高さを超える津波が来る可能性が指摘されていたが、東電はその対策を怠ったことが明らかになった。即ちその高さの津波が来た場合、全電源が喪失し、更に海水ポンプも機能喪失し炉心損傷に至る可能性の指摘である。東電はそれを認識しながら対応しなかったのである。国会事故調査委員会は原発事故につき危険が認識されていたから取るべき対策がとられていたなら回避できた。そしてそれをしなかったことによる人災だと結論づけたのである。

 長い歴史の過程で同じ被害が繰り返されながら時が経つと忘れられる。この過ちをストップさせることが東日本大震災を活かすことではないか。

◇65歳以上のワクチン接種が遅れるらしい。製造が外国頼みだから仕方がない。色々な対応が検討されている。100歳以上から始めて年代を下げていくなどだ。自治体毎の工夫が始まっている。(読者に感謝)