「パラグアイ最後の日」 2005年8月23日(火) | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

「パラグアイ最後の日」 2005年8月23日(火)

※土日祝日は「議長日記」及び「議員日記」を連載します。上毛新聞社から出版したもので、議員時代の私の動きを海外の視察も含めて振り返ったものです。

 

前日、記念式典の後で在パラグアイ商工会の人たちと懇談したことを書いたが、その時のメンバーの一人である前原さんの農場を訪ねた。商工会の人たちは日本との関係を進めたいと言っていたが、実際を見なければ理解出来ないからだ。その名は、前原農商株式会社。アスンシオン市の郊外の途方もなく広い農場である。養鶏を広くやっていると聞いていた。農場の入り口に車ごと消毒液の中を通過するところがある。外部から有害なウィルスなどが入るのをチェックしているのだ。工場及び前原邸に向かっているはずであるが見渡す限りの草原の中を赤土の道はどこまでも続く。アメリカ映画の「ジャイアンツ」の場面が思い出される。ロックハドソン・エリザベステーラー・ジェームスディーンが共演したこの映画は、東部から婚約者をつれてテキサスの牧場に着くところから始まる。行けども行けども邸には着かないほどの牧場の広さに驚かされた記憶がある。途中小さな水溜りがあり、その中で泳ぐ野性のワニが見えた。やがて大きな工場とその周辺の鶏舎の群れが現れる。建物の中を案内される。右から左からコンベアーが動きタマゴが運ばれている。女性従業員が傷のタマゴを取り除いたりする作業に当たっている。すべてコンピューターで管理され、一時間で約十万個のタマゴが処理されるという。ここでは、65万羽の鶏が飼われ、毎日50万個のタマゴが生産される。そして、選別されたタマゴはパラグアイ全土に出荷される。首都アスンシオンのタマゴはすべてここから出されるという。この国の人は決して生タマゴは食べないこと、毎年キリストの復活祭のころは消費量が急激に増えるのにタマゴの生産量が落ちる時期なので卵価が上がることなどを教えてくれた。車で移動して前原邸に着く。ここで前原さんは事業について語ってくれた。前原さんのお父さんは広島でゲタの工場をやっていたが倒産して丸裸で家族と共にこの地にやってきたという。ここに至るまでには、家族の命がけで働いた大変な歴史があるに違いないと思った。「鶏インフルエンザなどが入ればこの仕事は倒産します。そこで…」と前原さんが最近の計画を語ったところによると、450平方キロの土地を買って牛の放牧を始めたという。倒産に対する危機の分散という考えなのだ。その昔のお父さんの失敗が教訓になっているに違いない。それにしても450平方キロとは。群馬県の広さ(約6,360平方キロ)と比べてどうだという話をしていたがにわかには信じられない。前原農場の一画に岩山があり、その上に日本の城の建築が進んでいた。岩の上に立つ美しい天守閣は、ここが地球の裏側であることを忘れさせる。今はなきお父さんがつくり始めたというが、望郷の思いと共に、日本の歴史と文化をこの地で大切にしたいという願いが込められているのであろう。

午後は、「セントラル・ニッケイ」を訪ねた。この地の日系人のための文化施設である。ゴルフ、水泳、テニスが出来、100人以上が泊まることも出来る。会員制で、パラグアイの日系人が親睦を深めたり、レジャーを楽しむことも出来る。二年に一度、全米の日系人が集まって会議を開く。日系人のリーダーを養成する事業もここで行われている。日系人がこのように助け合いながら逞しく生きている姿は私たちを勇気づけてくれる。海外の日系人は日本が国際社会で生きるための貴重な存在である。このことを強く印象づけられた。
 パラグアイの郊外を走っていてサトウキビを積んだ沢山のトラックを見た。案内の加藤君に聞いてみると、やはり砂糖を取るためではなく車の燃料をとるのが目的だという。前橋工科大の教授とバイオマスの勉強会をしたとき、「ブラジルを中心にサトウキビからアルコールをつくり自動車の燃料にしている。それは、空中の二酸化炭素を増やさない」ということが話題になった。加藤君の話では、こちらでは80%の車がアルコールからとった燃料を使える仕組みになっているという。そして、ブラジルのハイブリッドカーは、この仕組みを取り入れているとのこと。日本でもバイオマスの研究を促進させる時にきている。夜、アルゼンチンへ向かった。