「ロスからメキシコへ」その2  2005年8月17日(水) | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

「ロスからメキシコへ」その2  2005年8月17日(水)

※土日祝日は「議長日記」及び「議員日記」を連載します。上毛新聞社から出版したもので、議員時代の私の動きを海外の視察も含めて振り返ったものです。

 

17日、メキシカーナ(メヒカナ)航空でロスを発つ。出発までの約1時間、見送りに来た秋元さん、ケイスビア章子さん等と親しく話す。ケイスビアさんには牧師さんの御主人も付き添って来られた。秋元裕子さんには、前回の北米視察の時以来お世話になっている。彼女はコーヒーを飲みながらダイナミックな人生を語ってくれた。ご主人は江戸時代、現在の総社などを中心に支配した秋元候の直系の家柄の人。有名な建築デザイナーであり又弁護士でもある。裕子さんは高崎女子高、昭和女子大を出てアメリカに渡った。レストランを幾つも経営していたが乳癌になって一つを残し他は手放したと言う。今一つ続けているのは回転寿司で、他の人が始めたのを受け継いだらしいが、この回転寿司は全米で初めてのものという。70歳を超えているがレストラン協会の副会長や日系商工会議所の理事などエネルギッシュな活躍をしておられる。「人生は奉仕」という哲学を持っておられるようで人生を生きる前向きな姿勢には頭が下がる。日本では高齢になると人生を「余生」と考える人が多いが、奉仕の精神で貫く人生には、現役と余生の区別はなく、燃え尽きる迄現役なのだろうと、彼女の生き生きとした表情を見て思った。

別れを惜しみ再会を約して機上の人となる。3時間半のフライトでメキシコに着く。バリグブラジル航空に乗り換えるための着陸である。ロスとメキシコは時差2時間で、午後6時である。入国と出国の手続きを済ませる。日本大使館の田辺氏が待ち受けていて私たち一行を特別に案内してくれるので厳しく面倒なチェックも簡単に進んだ。メキシコシティは標高2200メートルの所にあるので朝晩は涼しい。メキシコはアステカ文明が栄えたところで興味ある遺跡が多い。コロンブスが新大陸発見後、スペインの侵略者が次々と乗り込んだ。メキシコはコルテスの史上まれな残虐な征服に屈し、以後スペインの支配するところとなった。日本との関係は、古くから始まった。伊達政宗が使節をローマ法王に送った時、支倉常長の一行はメキシコに立ち寄っているし、その後も日本人はいろいろとメキシコと関わってきた。飛行場のまわりの山々を夕日が赤く染めている。黒い空に向けて飛行機が飛び立って間もなく、窓の外を見てあっと声を上げるところであった。息をのむような光景が広がっている。視界の限り続く大地が燃えているような夜の街の姿である。通り過ぎるだけでは惜しい。私の思いを乗せて機は夕闇の空に突き進んで行く。これからサンパウロまで、9時間余の空の旅となる。北米よ、さようなら。

二日間を振り返ると、アメリカの入国チェックは予想以上に厳しい。バッグや所持品は抜かりなく検査されるし、両の手の人差し指の指紋もとられた。パスポートなど書類をチェックする女性係官の腰には黒い拳銃が。そして一人一人に随分時間をかけている。イスラム系の人などは特に厳しいチェックを受けているのではないか。テロを防ぐには、ここが一番重要なところなのだから仕方がない。
 中々熟睡出来ない。それでもうとうとと何時間か過ぎたようだ。窓の遮光扉を上げると大きな月が雲海の上で輝いている。飛行機は雲の上に静止しているように感じられる。別世界に迷い込んだような光景である。エンジンの音に我にかえる。時速900キロで機は南下しているのだ。サンパウロはもう遠くないはず。そう思っていると進行方向左手の窓が急にオレンジ色に染まった。朝日である。機は雲の下に出た。窓外に新しい人界が現れた。山河があり家並みが広がっている。サンパウロだ。