よみがえる田中正造 死の川に抗して 第27回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

よみがえる田中正造 死の川に抗して 第27回

 田中はテーブルに何かを並べて言った。

「鉱毒に害された桑の葉はこういう色になってしまう」、「これが鉱毒が入った胡麻である」、「これは毒の入った米であるが、ねばりがないからダンゴにもせんべいにもならないのである」。

田中が桑の葉を振りながら叫ぶと、日頃田中の演説に激しい野次を飛ばした議員たちも田中が示す実物に口を閉ざして好奇の視線を投げた。また息をのむようにして、あるいは身を乗り出すようにして田中の手元を見詰めた。竹や桑や米や胡麻たちは田中よりも雄弁に鉱毒の恐しさを訴えていたのだ。論より証拠とは正にこのことであった。

 田中は銅山が大きな利益をあげ、それを国が財源として保護せんとすることを鋭く非難した。

「利益というものは正しい道をもって得るものである。盗賊同様のことで得るものを利益と呼ぶことは出来ない」。

 この言葉に議場では頷く議員の姿があった。それを見ながら田中は声を高めて言った。

「古河市兵衛に我がまま放題をさせておくことは、治外法権を特別につくっているのと同じである。そして、足尾銅山の鉱業人は他の一般の鉱業人の発展を妨げている。これを明言しなければならぬ。なぜなら、鉱業一般が足尾と同様に悪く見られるからだ」。

 田中の政府追及は辛辣であった。そして次の発言は議場に衝撃を与えた。中央の政府が地方の知事に働きかけ古河と被害民の間を不当に取り持ったというのだ。田中は叫んだ。

「知事たるものがこの公益に大きな害があることを金銭で扱おうとする。被害民は知事の言うことだからと信じ金を受け取る。欺かれた被害民は知らないから有り難がって知事に礼状を出した」

 田中はこの知事は群馬県の知事であると暗に示した。古河市兵衛は知事を動かして群馬、栃木両県と示談を結ぼうとしたが栃木県はさすがに応じなかったのだ。足尾という鉱毒の中心地があったこと、そして田中の存在が大きな意味をもったのだ。しかし群馬県は古河の術策に陥ってしまった。

 田中の演説は群馬の傍聴人を通じて群馬県民の間に広がっていった。これは、それまで他県の出来事ではないかと軽く考えていた人々の意識にも影響を与え変化を生じさせることになった。まだ、公害とか環境という言葉を知らない人々も利根川が渡良瀬川と一体となっている事実から改めて鉱毒問題と自分たちが不可分であることを真剣に受け止めるようになった。川俣事件の裁判が前橋地裁で行われたことも多くの県民は他人事と見ていた。しかし、群馬の人々は目が醒めたように気付くことがあった。裁判所へ引かれていく人々は川や村を守るために鉱毒と闘った仲間なのだということである。