人生意気に感ず「講演で田中正造を語る。田中は真の政治家であり予言者だった。コロナ襲来の意味は」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「講演で田中正造を語る。田中は真の政治家であり予言者だった。コロナ襲来の意味は」

◇9月10日は中央公民館(元気21)で「足尾鉱毒事件と田中正造」の講演を行う。主催は明寿大学悠々クラブである。毎日新聞連載の「田中正造」も先週22回となった。連載の正式なタイトルは「よみがえる田中正造・死の川に抗して」である。「よみがえる」とは田中の現代的意味を意識してつけたもの。田中は公害運動の元祖と言われる。福島第一原発事故を機に田中の存在が新たに注目されるようになった。その意味を語りたいと思う。

◇田中正造といえば多くの人が明治天皇直訴を思い出すだろう。私の講演でも柱の一つである。被害民の大挙「押し出し」(川俣事件)によっても、帝国議会で絶叫しても国は動かない。そこで最後の手段のつもりで決行したのが直訴であった。帝国議会の議員を辞し、妻とも縁を切って死を覚悟の上の実行だった。直訴状は大逆事件で刑死した幸徳秋水が書いた。

 田中は意外にも無罪放免となった。彼自身は「失敗だった」と叫んだが結果はその予想に全く反し凄いものだった。満都の新聞は号外を出し、世論は沸き立った。特に若者たちに強い衝撃を与えた。東大を先頭にした多くの大学生は現地を視察しようということになった。

 特別列車を仕立てた上野駅発列車では約1,000名の学生が鉱毒悲歌を合唱して気勢を上げた。その先頭には内村鑑三の姿があった。

◇足尾の銅は「死の川」をつくる原因であったが、銅は富国強兵を支える柱であったので、国は国民の命より国策として銅山を守った。

 その現われが「谷中村の遊水池化」であった。公害の原因を取り除くことを洪水対策にすり替えたのである。私の講演では荒畑寒村の「谷中村滅亡史」を取り上げる。寒村20歳の時の作品は出版後即発売禁止となった。若い情熱と正義感がほとばしるこの書の核心を紹介するつもり。

◇講演のしめくくりで触れるのは、田中が死の前年の日記に書いた言葉である。「真の文明は山を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」。現在、文明の暴走は地球の危機を招いている。田中の言葉は、百年も前でありながら極めて今日的である。田中は偉大な政治家であり、かつ予言者であった。私の新聞連載は現在、田中と群馬の関わりに入っている。講演ではコロナとの関わりについても触れたいと思う。コロナの襲来は今日の文明の在り方を強く戒めるかのようだ。「真の文明とは」をコロナは問うている。(読者に感謝)