人生意気に感ず「ある女性との出会い。町内草取りの意味。岩宿遺跡を訪ねる。歴史は過去との対話」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「ある女性との出会い。町内草取りの意味。岩宿遺跡を訪ねる。歴史は過去との対話」

◇最近、ある女性との出会いがあった。人生は面白いとつくづく思う。月1で町内の公園で草取りを行うが、その時ある奥さんが「私の母は先生と同級生なの」と言った。驚いた顔を向けると「生年月日は昭和15年10月30日よ」と愉快そう。「えっ、では私と同じ誕生日だ」

 こんなことで楽しい付き合いが始まった。この女性Kさんは、私とは旧宮城村小学校の同級生。私の記憶には全くなかったが同級生とは不思議なものだ。話すうちに時を超えて昔のことが甦る。戦後の混乱期の子供時代は懐かしい。すし詰めの教室、私が先生に殴られたこと、誰ちゃんがぼけた、誰ちゃんは亡くなった等の話は尽きない。家は朝の走るコースであり、時々の愛犬サンタとの散歩の通り道でもある。

 公園の草取りはしばらくコロナのため中断していたが7月から再開する。私はほとんど欠かさず参加してきた。地域の人を交流する良い機会なのだ。今年はこの草取りの会の会長に選ばれた。コロナ禍にあって思うことは地域社会の連帯の大切さである。今日は社会の連帯が崩れつつあり、草取りでもなかったら、共に汗を流す機会は少ない。「群馬は安全」という神話は、今回のコロナで崩れた。東日本大震災から9年が過ぎたがあの緊迫感が薄れつつある。災害の時代の幕開けであり序曲だと私はこのブログで警鐘を鳴らしてきた。その矢先にコロナの大襲来となり、更に最近は震度4が連発している。何かが起きる。そんな予感がしてならない。コロナも第二波、第三波の到来は避けられそうもない。正に社会の連帯が問われる時だ。公園の草取りが益々重要になっていく。

◇私はコロナ後の社会は一変すると思う。その意味で今は歴史的転換点である。砂上の楼閣のような豊かさの中で、今日の日本人の精神も砂上の楼閣のような危うきにある。Kさんと話すように、戦後のハングリーな状態に学ぶ時が来た。

◇先日、私は岩宿遺跡を訪ねた。歴史は現代と過去との対話である。行商中の相沢さんは関東ローム層の中から石器を発見した。相沢さんの問いかけに一万年以上前の過去が答えたのだ。それはこの時代に人々の文化が存在したことを明らかにした。相沢さんは、発見した黒光りする石片は「すすきの葉を切ったように両側がカミソリの刃のように鋭かった」と語った。この石器で動物たちに立ち向かう古代人の姿を想像した。(読者に感謝)