人生意気に感ず「書斎のカッパの少女。文化会館などの解除。学校再開の意義」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「書斎のカッパの少女。文化会館などの解除。学校再開の意義」

◇私の書斎は私の戦場である。私は毎日午前0時には起きて原稿や読書に取り組む。この空間に最近、私の心を癒やす存在が出現した。カッパの少女の座像である。カッパの女の裸体といえば小島コオの絵を思い出す。目の前の少女もそれに劣らず魅力的である。赤城の山中のある工房で手に入れた。私はカーパちゃんと名付けた。かつては深夜のこの書斎を愛猫トコが訪れてカーパちゃんの位置にうずくまっていた。トコは天国でこの光景をどう見ているだろうか。

◇休業要請が一部解除される。警戒度を現状の4から3に引き下げたことによる。具体的には文化会館、図書館などの文化施設、及び古書店、レンタルビデオ店、スーパー銭湯などの商業施設だ。私個人としては図書館と総合福祉会館の動向が気になっている。図書館が使えないことは資料の関係で大変不自由している。また福祉会館は「ふるさと未来塾」が開けない点で困っていたのだ。これらの施設も近く利用できるのでほっとしている。

◇6月1日に学校が再開される意義は大きい。ウイルスの拡大がこのまま抑制されれば、県は6月1日にも段階的に県立学校を再開する方針である。県内の学校は地域の実情に基づいて再開の時期と運用を異にしている。前橋などは県の方針を受入れて6月1日から再開の予定である。

 学校教育は様々な課題を抱えているがコロナによる休業は学校の問題を考える良い機会になったといえる。学校嫌いな生徒も学校の存在が生活の基本になっていることを痛感したかも知れない。学力は単なる知識ではなく生きる力を培うためのものということをコロナの襲来の中で教師も父母も学んだのではないか。コロナとの戦いは政治や文化や生活習慣と深く関わっている。机の上の知識偏重の感があった学校教育は社会の現実の中に活きた教材が限りなく存在することを学んだに違いない。

 再開された学校では新型コロナウイルスから最大限の教訓を引き出すべきだ。子供たちは長い人生でウイルスを含め多くの災害に遭うはずだ。今回のコロナウイルスは彼らにとって貴重な体験になるだろう。学校再開を教育の新たな地平線に向けての第一歩にすべきだ。

◇16日現在、県内は10日連続して感染者の確認なしである。これは本物なのか心配だ。経済再生相は「全国的に気の緩みがある。再び大きな流行になる」と警告した。(読者に感謝)