人生意気に感ず「東日本大震災を振り返る。油断を戒めるように新型コロナウイルスの猛威が続く」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「東日本大震災を振り返る。油断を戒めるように新型コロナウイルスの猛威が続く」

◇厳粛な気持ちで9年前を振り返りこのブログに歴史を刻もうと思う。あの日、3月11日午後2時40分頃私は小坂子町の公民館にいた。県議選が迫っていた。選挙事務所に決まったこの公民館での準備に追われていたのだ。その時、東の方から突然の轟音と大地の大揺れが起きた。空には鉛色の雲が垂れ込めていた。事務所の背後には赤城の鍋割が迫っていた。「来たな」、瞬間私はこう直感した。不気味な揺れは長く続き、私には近くの山の稜線が大津波に変じた姿に見えた。大混乱が生じた。生活を直撃したのは停電であった。現代の文明が全て電気に依存している事実が突きつけられた。時の経過と共に事態の全貌が明らかになっていく。東北沿岸の巨大津波、そして過酷な原発事故を全てのメディアが報じ始めた。私はテレビに映る津波の光景を息を呑んでみた。流される人々の姿は信じがたく、私は目を疑った。

◇日を追って明らかになったことは原発の過酷事故である。その過酷さは9年後の今も終息しない事実が雄弁に物語る。私は東北の被災地を訪れて様々な事実を見た。大きな船がビルの上にあり、またコンクリートの建造物が地中の基礎と共にえぐられて倒壊していた。これらは現代文明が大自然の前にいかに脆弱(ぜいじゃく)であるかを示していた。

 私が特に衝撃を受けたことは次第に実態が明らかになった福島第一原発事故である。私は原発事故検証委員会の調査報告書を引き込まれるように読んだ。その中味はこの原発事故のことを「人災」であると論証していた。私は次第にこの原発事故は現代文明の矛盾を示すものであり、「公害」の象徴的姿であるとの確信を深めた。

 私は原発事故は人災であり公害であるという認識を深める中で公害運動の元祖と言われる田中正造に出会ったのである。現在、毎日新聞に「よみがえる田中正造」を月2回のペースで連載を続けているが、これを書く動機の一つに原発事故を教訓として活かさねばならないという思いがある。

◇9年があっという間に過ぎた。あの過酷災害を今後の教訓として活かさねばならない。東日本大震災は巨大地震の序曲といわれている。首都直下型、南海トラフ型などの巨大地震は確実に近づきつつある。教訓として活かす上で最大の課題は「群馬は大丈夫」という安全神話である。この慢心に鞭打つようにコロナウイルスが現れた。国難の時に立っているのだ。(読者に感謝)