人生意気に感ず「議員は自ら報告書を作れ。議会の形骸化は民主主義の危機」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「議員は自ら報告書を作れ。議会の形骸化は民主主義の危機」

◇県会議員が視察旅行に関して自ら報告書を書かないことが報じられている。これは今に始まったことでなく、悪しき慣習ともいうべき現象である。議会改革が叫ばれて久しい。議会の重要性は改めて言うまでもない。民主主義を支える柱であり、民主主義を実現する拠点でもある。「地方は民主主義の学校」という諺がある。地方は、民主主義を支える主人公たる国民に密着していることに基づく言葉である。地方の時代と言われて久しいが、地方の重要性は増々大きくなっている。その中で地方議会の形骸化が指摘されているのである。

◇議員の視察は非常に重要な役割を担っている。時代の情勢は激しく動いている。その実態を肌で知り見識を高めることは政策の立案とその実現にとって不可欠なものである。私が県議会にいた頃、ある委員会の海外視察がマスコミによって「観光旅行」だと激しく批判されたことがあった。このような批判が的外れでない一面もあった。批判は世論でもあったことから県議会は海外視察の改革に立ち上がった。その忠心は、事前に目的を審査し、事後に「報告書」をつくることである。今回指摘されているのではこの報告書に関することである。事務局が形式済ませ、議員が報告書を作らないとすれば改革は名のみであり与論を欺くに等しい。

◇議員は文が書けないと言われることがある。議員の使命の中心は政策を作り発信することである。この発信のために文の作成は不可欠である。この能力が悪い人物は議会に存在すべきでない。文を作ることに不慣れなら努力すべきなのである。選挙の洗礼を受けて議会に入る人には潜在的に文を作る能力があると思う。議会事務局の役割は議員を本質的に助けることである。議員には地方民の中にあって体感している熱い思いがある。稚拙であっても議員自らが文の筋書きを作り、それを完成することを事務局は支えるべきだ。私の経験では議会事務局の存在は空回りしている。議会制民主主義の根幹を支えるべきなのに、現状はそれと程遠い。議会の改革は議員と議会事務局の歯車が噛み合うところから始めねばならない。私が議長の頃、議会改革として一問一答形式が始まり、議員は自ら質問を組み立て自分の言葉で語るようになった。これは議員が能力を発揮し事務局が支える姿の成功例である。議会が根底から試される時が来た。(読者に感謝)