人生意気に感ず「中村医師の死の衝撃。文章を書けない子ども達と日本の危機」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「中村医師の死の衝撃。文章を書けない子ども達と日本の危機」

◇中村医師の死に衝撃を受けた。アフガニスタンで武装集団に襲撃された。民間活動団体「ペシャワール会」の現地代表だった。この会ではかつて日本人の若者伊藤和也さんが殺害されている。中村哲さん(73)がアフガンでの医療活動に関わるようになったきっかけは同地でのハンセン病患者の医療活動であった。ハンセン病は社会環境と関わりがある。日本ではほぼ絶滅されているが世界の貧困地域では未だ深刻なのだ。中村さんはアフガンの貧困が平和を害し治安が安定しない要因と考えていた。中村医師の死を通して海外の過酷な紛争地で命をかける日本人が多くいることに今更ながら胸を打たれる。

 アフガニスタンは古代のアレキサンダーの遠征以来、東西紛争が激化し続けた地であった。2001年のニューヨークの同時多発テロ後はアメリカの攻撃の的となった。イスラム教の人たちは、アメリカとの対話を「十字軍」戦争と呼ぶ人は少なくない。中村さんは「米国に近いと思われたらここでは誰も信用してくれない。米軍とは距離を置いているから武装勢力の恐さを感じない」と語っていた。

 ある時、中村さんの診療所を米軍が訪れて薬の提供を申し出たが、中村さんは拒絶した。薬は喉から手が出る程欲しいが米軍との関係を疑われたら全てが水の泡となるからだ。

 中村さんは井戸を掘り、用水路を引いて褐色の大地を緑に変えた。これまでに掘った井戸は1600本に上る。アフガンの人々は中村さんの献身的な姿を見てこれが真の日本人だと思ったに違いない。かつてアジアの果ての島国日本がロシアを破った時、その衝撃は中東の人々まで感動させた。しかし、日本はその後、征服者白人のサイドに立ってしまったとがっかりさせていた。中村さんのような命がけの民間人の姿を見て、アジアの人たちは平和憲法の下で生まれ変わった日本の真実を知ったことであろう。中村医師の死は実に残念である。日本の多くの若者が中村さんの死を乗り越えて前進することを祈るばかりである。

◇日本の若者の国語力の低下がしきりに報じられている。「この公園には滑り台をする」。これは主語述語が不明で意味が通じない文の礼である。日本お文化が崩壊する姿である。「読み書きそろばん」の時代の方が生きた学問をしていたと思わざるを得ない。人間の心が機械化して死滅する。漂流する日本はどこに向かうのか。(読者に感謝)