人生意気に感ず「貴陽市で田中正造の文明論文を考える。少数民族の少女のこと」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「貴陽市で田中正造の文明論文を考える。少数民族の少女のこと」

◇中国の旅中、毎日新聞連載(群馬版)の第3回が載る。明日9日(土)版である。私は朝の貴陽市を走りながら田中正造の世界を想像した。「第二の春城」と呼ばれる標高1071mの山あいの街は急速に近代化が進んでいる。内陸の都市がこの状況であるから中国全土に近代化の大波が押し寄せているに違いない。悠久の歴史に一大変化が生じている。牧歌的な中国の姿が消えつつある。田中の文明論が思い出された。「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」。田中は死の前年の日記でこのことを記した。田中の視線は、107年前に日本を超えて地球的規模で文明の行方を観ていたことを貴陽市で感じた。田中の予言は的中しつつある。田中の予言に迫真性があるのは予言者と言われる多くの人が頭の中の思索によって先の見通しを絞り出すのと違って、鉱毒の渦という文明の危機の中の行動から環境破壊の先を憂えたからである。貴陽市のホテルで正造の連載のことを訊かれた私は、6日出発前日の「へいわ845」の講義の話をした。ここでは新聞と並行して田中正造を進めている。6日の中味は次のようであった。

◇被害住民が大挙して動いて官憲と衝突した川俣事件の後、正造は帝国議会で政府を激しく糾弾した。有名な亡国演説である。普段は野次が渦巻く議場もこの時は水を打ったように静かであった。正造の秘かな決意が伝わったのだ。正造はこの演説の後、議員を辞職し天皇に直訴した。私意を捨て命を懸けた政治家の決断であり、正に知行合一の現われであった。曲がり角で馬車が速度をゆるめた時、ヒゲの奇妙な男が「お願いがございます」と言って走り出た。馬上の騎馬隊長は長刀を振り下ろした。私がこのことを話す時、「へいわ845」の教室は水を打ったように静かであったし、貴陽市のホテルの友人の目も輝いていた。満都の新聞は号外を出し世論は一気に沸騰した。特に注目されたのは若者の反応だった。旧制中学生だった石川啄木は感動して歌を詠み、学生たちは東大生を中心に特別列車で被災地に向かい、その先頭に立ったのは内村鑑三だった。中国の内陸の地で田中正造を語る不思議さを感じ正造を甦らせる意義を確信した。朝、走る途中で少数民族の娘と話すことが出来た。「リーベン・ハオ」(日本が好きよ)と笑う顔が美しかった。(読者に感謝)