人生意気に感ず「古書として買った“出家とその弟子”。新しい新聞連載」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「古書として買った“出家とその弟子”。新しい新聞連載」

◇先日煥乎堂古書部で5冊300円及び5冊100円という買い物をした。見る人によっては大きな価値のある物である。果たしていくらで仕入れるのかと不思議に思った、書物離れが進んでいる。膨大な量の書が出版され、目の前を流れその多くは溶かされて消える。日本の文化が崩れて流されていくのを見る感がする。

 5冊300円の中に「出家とその弟子」がある。懐かしい思い出に駆られて拾い上げた。パラパラと繰ると親鸞、世を呪む浪人左衛門、その妻で信心深いお兼などの文字が目に飛び込む。数十年の時を超えて大学の時の読書会の光景が甦るのであった。東大に入学した年、誘われた読書会で最初に読んだのが倉田百三のこの書であった。雪の夜、旅の僧が一泊を乞うのを浪人は頑なに雪の中に追い出した。その夜、浪人は鶏を絞める夢をみた。羽をむしる。苦しげな声を出す鶏。いつしか首を絞められ悲しげに見上げている鶏は浪人自身であった。ハッと目が覚める。雪の中で親鸞に手をついて謝る浪人。ゴミのように扱われる古書は、魔法のカギのように私の心の古い扉を開ける鍵になった。

◇駒場時代には他にE・H・カーの「歴史とは何か」、オパーリンの「生命の起源」その他を多く読んだ。今日、東大生の質の低下が指摘されている。大学生一般にいえることだろう。一時的な知識を試験技術のために頭に入れるが、それは心に根を下ろさない。社会のハイテク化が進む中で人間も機械化していく不安におそわれる。ITが進歩するが、人間は心の動物である。心の豊かさが失われれば人間は本当にITに負けてしまう。そういう危機の大波が押し寄せている。心を豊かにするものは一般教養である。読書離れの現実は心の危機を物語る。

◇10月から毎日新聞(群馬版)に「甦る田中正造―死の川に抗してー」の連載が始まる。上毛新聞連載の「死の川を越えて」は小説として展開したが今回はノンフィクションで随筆風である。資料を読むうちに事実を提示しそれにコメントを加えることにした。第一回(神通川を訪ねる。神の川は魔の川に)、第二回(イタイイタイ病。骨はポキリと)、第三回(谷中村滅亡史は訴える)、第四回(田中正造旧宅の女性)等と続く。底流にあるのは人権である。その先には福島第一原発事故が。(読者に感謝)