人生意気に感ず「令和天皇のおことば。地獄の戦場ニューギニアよ」
◇15日正午の戦没者追悼式に臨まれた天皇皇后のお姿をみた。令和天皇の追悼式に於ける初の舞台である。ほっとするものを感じた。おことばに耳を傾けると「反省」という言葉が胸に響いた。不戦と平和の願いを込めたお言葉の主要部分は次のようなものであった。「過去を顧み、深い反省に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」である。「おことば」は象徴天皇の「国事行為」の重要な一つである。実質的には日中戦争から始まった太平洋戦争の犠牲者は310万人にも及んだ。これらの人々を追悼し、同時に平和を願うおことばの意味は最も大切な国事行為と言っても過言ではない。私はおことばを述べる天皇の声に耳を傾けながら「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」と言う憲法の規定をかみ締めていた。私は国民を「ほっ」とさせることは象徴の重要な役割だと思う。
◇この日、追悼の辞を述べた遺族代表は森本浩士さんだった。この人はニューギニアで父を亡くしたという。ニューギニアは最も過酷な戦場の一つで「生きて帰れぬニューギニア」と言われた。この日の午後、私はニューギニア戦線の奇跡の生還者岩田亀作さんを訪ねた。満百歳に達したこの人は元気であった。
74年目の終戦記念日を迎えた岩田さんの胸にはあのニューギニアの日々が甦っていたに違いない。私も岩田さんと共に多くの人に語った地獄の戦場を振り返っていた。
◇私は平成13年パプアニューギニア慰霊巡拝に県議会を代表して参加した。南の果ての極限の戦争を肌で感じ、言葉では現しきれない戦争というものの悲劇を痛感した。出発前に聴いた岩田さんの体験談は、私の慰霊巡拝を強く支えてくれた。ダンピール海峡の悲劇、サラワケット越え、ミッションヒルのこと等々は岩田さんの話がなければ単なる伝え聞く物語で終わったに違いない。私は帰国後、岩田さんの話と、この年の慰霊巡拝を基に小著「今見る 地獄の戦場」を書いた。岩田さんが百歳を迎えたことはあの戦争が遠ざかったことを物語る。生き証人がいなければ戦争は単なる物語になってしまう。
◇岩田さんの話で特に私の胸を打ったことは毒殺命令のことである。一つの戦場を去る時、衛生兵だった岩田さんは動けない人々の毒殺を命じられた。岩田さんは毒薬を土に埋めた。日本軍の下では人命は木の葉のように軽かった。人間は消耗品であった。戦争とはそういうものなのだ。(読者に感謝)