人生意気に感ず「留学生に語る日本の敗戦。消え去る戦争の記憶」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「留学生に語る日本の敗戦。消え去る戦争の記憶」

◇5日、「へいわ845」は第100回を迎えた。今回は特別の企画となった。前橋市民文化会館を会場とし、参加対象者も日本アカデミーの留学生とした。テーマは「日本の一番暑い夏」であった。毎週水曜日の8時45分に実施してきたが今回5日()となったのは、次のような理由によった。一つは74年前の8月5日の前橋大空襲を重要なテーマの一つにしたこと。もう一つは会場に関することだが、パキスタンの人権活動家マララ・ユスフザイさんを招く予定で文化会館をおさえておいたことである。マララさんの招聘は福田元総理の大変な御尽力のお陰で実現の方向であったが止むを得ぬ事情で残念な結果になった。へいわの講義はいつも日本アカデミーの職員らを対象にしたが今回は留学生の授業の一環と位置づけた。

◇私がパワーポイントを使って大きなスクリーンに映し出した資料のいくつかを紹介する。

 先ずは廃墟と化した前橋市街の写真である。1945年8月5日の夜10時30分頃、97機の米国戦略爆撃機が来襲し街は焼夷弾によって火の海と化した。画面の一角に小さく残る白い建物は前橋カトリック教会である。この教会が立つ南北の道路から東側が焼け西側は県庁に至るまで魔の手から免れた。県庁舎の背後に白く光るのは利根川である。「私はこの教会の近くで生まれ、この空襲の時4歳でした。535人の人たちが死にました」と話した時、「へえー」といったどよめきが会場から起きた。「この光景は日本の原点となりました。日本はやがて涙を拭って再建のため立ち上がりました。今あの時のハングリー精神を日本人が失ってしまったことが現在の最大の課題になっています」こう語りかける私の胸の内には日本の若者にこそ伝えたいという思いがあった。

◇降伏文書に署名する日本代表の姿を説明した。戦艦ミズーリ―号上の光景である。傲然と立つマッカーサー、その前のテーブルの書面に身をかがめる日本代表。勝者と敗者を象徴する姿であった。9月2日のことで、この瞬間が正式な敗戦の日時であった。「多くの人が、8月15日に天皇が敗戦を国民に告げた日を終戦と考えています。実質的にはその通りですが、国際法のルールの上では9月2日のこの署名が敗北を認めた出来事でした」。

◇「国破れて山河あり」の状況から立ち上がった日本人の姿として、弟を背負って教室で勉強する少女、列車の屋根にまで乗って買い物に出かける飢餓に苦しむ人々なども紹介した。

 平和で豊かな日本が昔から当然に存在すると思っている留学生もいることだろう。悲惨な太平洋戦争が歴史の彼方に消えようとしている。何百万という人々が命を落としたあの戦争は幻だったのか。決してそうではない。幻にしてはならないのだ。(読者に感謝)