人生意気に感ず「東大駒場講義録を読む。生命の普遍性とは。田中正造の連載を」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「東大駒場講義録を読む。生命の普遍性とは。田中正造の連載を」

◇先日、煥乎堂の古書部で面白い書物を手に入れた。「東大駒場講義録」で、副題として「地球・生命・文明の普遍性を宇宙に探る」がついている。新書版で因みに値段は150円。この副題に引かれて買うことになった。この講義録は2005年に東大駒場で、理科系の学生を対象になされたものだ。東大は2年生までは駒場で教養を学ぶ、そして3年から本郷の専門課題に進む。この講義のことは話には聞いていたが、古本屋で手にして中味については何かを感ずるまで、心を動かされることはなかった。私の心動かしたのは、知との遭遇と言えた。

 諺に「心そこに在らざれば見れども見えず」という。目に映ってもそれだけでは心に入ってこないのだ。副題の「地球・生命・文明の普遍性」に関しては壮大な意味が込められている。真理について熱い好奇心があれば目を輝かせるのが自然である。最近の東大生には目に輝きがないと言われる。本郷へ進み上級になればなる程、学生の目に輝きが感じられない。講師の松井教授はこの現実を憂えたが駒場の学生にはまだ輝きがあると聞き、それでは講義したいと思った。これが11回に亘る講義企画の動機である。「目の輝き」は現代の教育、特に東大がかかえる大きな問題を示唆していると思う。私は好奇心に目を輝かす思いで読んだ。先ず、生物学の「普遍性」について教えられた。生命について普遍性を問題にするなら、生命が地球だけでの存在であってはならない。他の惑星にも生命があってこそ生命の存在は宇宙で普遍的なものと言える可能性が生まれる。今必死で科学者が地球外で生命を見つけようとしている意味はここにある。

 松井教授はこの地球にも生命の普遍性に通じる証拠があると誠に興味ある話をされた。

◇教授は、地球の極限の環境で生きる生命の存在に注目する。例えば何百気圧の海底下の300度の熱水噴出孔のまわり、南極の氷の下、地下深くの高温高圧下でも奇妙な生きものがうようよいる。このことは他の惑星にも生物が存在する可能性を物語ることだというのだ。限りない好奇心を駆り立てる材料を教育の世界は活かせないのだろうか。「はやぶさ」の快挙はこの流れの中にあるのだ。

◇今年10月頃から、毎日新聞に田中正造を連載する予定である。「甦る田中正造―死の川に抗してー」公害の原点を実践した正造はポピュリズムの対極にある。(読者に感謝)