人生意気に感ず「滝行を実践した。滝の縁でハンセンの話を聞いた」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「滝行を実践した。滝の縁でハンセンの話を聞いた」

◇17日、久しぶりに夏日であった。私は午後あることを思い立って吾妻町の嶽山の麓に向かった。途中渋川のカインズで地下足袋を買う。不動の滝に打たれるためである。一人で滝に臨むことを人に話せば反対されるであろう。十分用心して足を踏み入れようと決意した。

 浅川熙信僧侶の呼びかけで参加するもう一人はアフリカ・カメルーンの若者アラン君である。先日、打合せで会ったが見上げるような体格の日本アカデミーの生徒である。私はこの巨体がフンドシ一つで滝に打たれる姿を想像した。落下する水の中で黒い巨体が手を合わせる様は正に不動明王だと思った。浅川師は両手を合わせ腹のあたりから声をあげ「南無不道明王」と叫ぶことを指導した。28日、午後一時の滝行はこの僧侶を含め3人が参加する。

 私は滝の縁に立った。先日下見した時より落下の水量は増していた。滝壺は黒く不気味であるが浅川師の話では胸位の深さとのことだ。私は衣服を脱ぎ半ズボンと地下足袋をつけた。腰をかがめ両手で水をすくって顔を洗い、胸に水をあてた。見上げると黒い岩壁を裂くように水は落下し、頭にしぶきがかかる。私は恐る恐る探るように足を踏み入れた。落下する滝の側面から頭を突っ込むように進む。手を合わせ大声で叫んだ「南無、不道明王」。滝の中で寒さは感じない。轟々と響く水だけの世界。不思議な緊張感が私を包んでいた。私は短時間の滝行を2回行って水の外に出た。「やったぞ」、私は滝を見上げて叫んだ。爽快なものが頭を支配し胸が躍るのを覚えた。古来の滝行には時代を超えて伝えるべきものがあるに違いない。アフリカの黒人青年アラン君は日本の伝統文化に接し何を学ぶであろうか。

◇滝から出て不動堂の近くで地元の2人の老婦人に出会い、私は不思議な話を聞いた。私が28日に滝行に挑戦すると話すと、彼女たちは興味を示し私は応じて自分のことを語った。ハンセン病の話になった時、一人の女性が昔の体験を語ったのだ。村の娘がハンセン病の人を結婚し2人の子を設けたが子どもは学校で「うつる」といじめられた。母は他県へ子を連れ出し絞殺し、自らも命を絶ったという。当時大騒ぎになったと女性は語った。最近熊本地裁で家族訴訟が勝訴になったことを私は説明した。ハンセン病に関するいじめの根がいかに深いかを私は滝の音を聞きながら噛み締めた。(読者に感謝)