人生意気に感ず「トコとの別れ・その2。ナナも待つ天国」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「トコとの別れ・その2。ナナも待つ天国」

◇気の強い猫だった。何度か子を産んだが、子育ての時は犬が近づいたりすると猛然と立ち向かっていった。このような時、人間の社会では若い母親が子どもを飢えさせて遊び回る事件や虐待が絶えなかった。「トコの方がずっと偉い母親だ」と言って私はトコの頭を撫でた。マグロの刺身が好きだった。

その日も、弱って「オーン」と悲しげな声を出していたので私はブツを買ってきた。それを美味しそうに食べた後、夕方見えなくなった。食事を囲むトコに魚などを砕いて食べさせているのは私だけだったので、トコは私の左足から見上げ箸の先のエサにシャっと手を伸ばす。私はふざけながらやるので時々トコの爪が私の腿をかすめる。今私の身体に爪の跡がいくつも残っている。私の身体に爪痕を残してトコは去って行った。寒いような雨の日が続く。どこかの草の中でじっとうずくまっている姿を想像するのは辛い。

◇秋田犬のナナとの別れも辛かった。忠犬ハチ公を思わせる程私になついていた。幾日か出張などで家を離れると、帰った時飛びついて大変だった。私はいつも冗談に語っていた。「あの世に行った時まず会いたいのはナナだ」と。あの世とやらはどんなところか分からないが、ふと気づくと傍らにうずくまっているナナがいる。「お前は俺を待っていたのか」と言って頭を撫でる。私はそんな光景を時々想像したのである。今、あの世で会いたい存在にトコが加わった。犬と猫は感情の現し方が違う。トコはどんな顔で私を迎えるのか。

 動物は言葉がないだけに、こちらの思いが余計にふくらむとも言える。可愛かった動物は心の友である。ペットなどと軽い表現は使いたくない。書斎の外でサンタが泣いている。こちらは柴犬で落ち着きがない。少年の頃好きだったラジオドラマ「三太物語」の三太少年の名である。三太はいたずら少年で、どこか私と似ていた。ドラマはいつも「おらあ三太だ、ある日のことだ」で始まった。美しい花荻先生が登場する。三太はこの先生が好きだった。先生はよく気絶した。先生の机からヘビが出てくることもあった。三太のいたずらであった。野生が遠ざかり、ギスギスした社会になった。動物たちとの接触はせめてもの救いである。動物虐待が続く。人間の心から余裕が失われ心が貧しくなっていくことを物語るものだ。トコよ、もう一度戻ってこい。

「今日もまた 冷たい梅雨か トコの空」(読者に感謝)