人生意気に感ず「ハンセン病元患者の家族の訴え。それが問うもの」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「ハンセン病元患者の家族の訴え。それが問うもの」

◇無知が誤解と偏見を生む。国の誤った政策が誤解と偏見を助長する。このことを噛み締めながら私は「死の川を越えて」をおよそ一年間上毛新聞に連載した。草津湯の川を舞台にしたハンセン病と闘う人々の人間ドラマである。そのクライマックスは国を追い詰めた訴訟の場面である。そのモデルとなった史実が2001年の熊本地裁判決である。湯の川の住人たちが小説の中で必死で控訴断念を訴えた。人々の切なる願いは実現されたのだ。その時の首相は小泉純一郎氏、そして官房長官は福田康夫さんだった。私は原稿を福田さんにも見せながら書いた。

◇同じ熊本地裁が元患者の家族の訴えを認める判決を下した。内容は2001年判決の続きともいうべき画期的なもので、私は感慨深く受け止めた。また控訴が問題となるであろうが控訴はないと思う。国の誤りは歴然であり判決を支持する世論は大きなうねりになっているからである。国の隔離政策は過酷な爪痕を日本国民の心に刻んだ。元患者の家族は元患者と同様の被害者であった。2001年の判決で感染力は極めて弱いこと、遺伝病ではないことが明確にされたにも拘わらず差別と偏見は変わらなかった。今回の元患者の家族も多くは匿名で原告となった。裁判の中では家族の悲惨な体験が明らかにされた。親のことがバレて離婚された人は妻の実家で土下座して詫びたが妻の親戚から罵声を浴びせられた。元患者は妊娠すると強制的に堕胎させられた。草津楽泉園強制堕胎の碑は「命かえして」と訴えている。今回の家族訴訟の中で明らかにされた事実がある。元患者の母が妊娠し強制堕胎の手術を受けたが奇跡的に助かった命があった。小さな命は親類宅で育てられたが差別の中で育った。買い物に行くと「あんたには売らんよ」と拒否された。

 今回の判決は「隔離政策は家族が差別を受ける社会構造を生み、憲法で保障する人格権や婚姻の自由を侵害した」と指摘した。判決は国の責任を挙げる中で文科相についても「差別除去のための啓発活動や教育を実施する義務を怠った」ことを指摘した。教育の現場はこの判決を期にハンセン病のことを正しく勇気をもって教えるべきである。先生の心の目が曇り萎縮しているとすればそれも国の誤った政策の一環である。教育は今こそ日本国憲法に位置付けてハンセン病の真実を教える時である。(読者に感謝)