人生意気に感ず「ふるさと未来塾で米中対立を語る。鄧小平と改革解放路線」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「ふるさと未来塾で米中対立を語る。鄧小平と改革解放路線」

◇26日の「ふるさと未来塾」は「米中の対立と日本の役割」をテーマに、私は毛沢東・周恩来・鄧小平を中心に語った。チラホラと白いものが飛び始めた寒い夜だった。私は3人の巨人を熱い思いで語りながら中国への歴史の奥深さと日中の絆の強さを改めて感じた。米中の歴史を知らなければ対立の本質も分からない。従って日本の役割も理解出来ないのである。そこで先ずは中国の近現代史となったわけである。

 毛沢東は1949年中華人民共和国の建国を宣言したが、大躍進政策で失敗し、2千万から5千万人といわれる餓死者を出し、国家主席の座を劉少奇に譲った。

 そして文化大革命の勃発。すると毛沢東はこれを利用して権力奪回を計るが鄧小平は反対だった。周恩来は文化大革命でも基本的には毛沢東を支持するが、紅衛兵の暴走を抑え、秘かに革命後に備えた。1972年、米中及び日中間に大きな動きがあった。ニクソン大統領が中国を訪問した。そして田中角栄首相も訪中し毛沢東と会い日中国交正常化が合意された。

 1976年(昭和51)、周恩来・毛沢東が世を去り、翌1977年文化革命は終わる。鄧小平が実験を握り1978年日中平和友好条約が結ばれる。条約批准のため来日した鄧小平は東海道新幹線に乗りその速さに驚き、日本の企業を視察してその技術力に目を見張った。この視察がその後の彼の政策決定に大きな影響を与えたと言われる。この年11月、中国は改革解放路線を決定する。巨大な中国の市場が世界に向かって開かれていった。その後の中国の変化は驚くばかりであった。一党独裁の国では一度決定されればただちに動きが起こる。その後、中国は世界の工場になり、更に世界の市場となった。この間、中国は世界の技術を学び自分のものにした。今や中国は世界第二の経済大国となりその勢いは止まらない。トランプ大統領が「アメリカナンバーワン」を叫ぶ姿はこのままでは中国に追い抜かれるという危機感の表れにも見える。中国の実力の象徴は月の裏側に探査機を着陸させたことである。

 習近平主席は第19回党大会で「中国の特色ある社会主義」実現を宣言した。世界は米中対立の時代に入り、この動きは今後長く続くに違いない。アメリカは、このままでは衰退に向かうだろう。アメリカの真価が試されている。日本の役割は増々大きい。このようなことを語った。(読者に感謝)