人生意気に感ず「江橋慎四郎を偲ぶ会。生等生還を期せず。学徒出陣」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「江橋慎四郎を偲ぶ会。生等生還を期せず。学徒出陣」

◇23日(土)、私は江橋慎四郎先生を偲ぶ会に出た。会場は神田の学士会館。私はチュックボウル協会の会長であるが、これは江橋先生から「次は中村君が」と言われて引き受けることになったもの。先生は、チュックボウル協会の会長の他にも、日本ウォーキング協会、日本レジャーレクリエーション学会、日本ボウリング協会等々、数多くの市民のスポーツに関係しておられた。この経歴が示すように先生は日本のレクリエーション、社会体育、野外教育などのパイオニアであり、牽引者であられた。先生は2018年4月8日97歳の生涯を閉じられた。その生涯は市民スポーツの実践の成果を体現するように健康で穏やかに見えた。確かにその通りであるが、激動の時代の波乱の青春が先生の人生の根を成していたに違いない。

 偲ぶ会では、それを示す先生のせいしゅんの一コマがスクリーンで紹介された。昭和18年、神宮外苑で行われた出陣学徒壮行会の光景である。昭和16年に始まった太平洋戦争は次第に敗色が濃くなり、この年それ迄の徴兵猶予の制が廃止された。ザクザクと銃をかついで校旗を先頭にした学生が進む。白黒の映像には悲壮感が流れていた。彼らを待ち受ける運命を想像すると胸に迫るものがあった。

 東条首相の前で「生等今や見敵必殺の銃剣を提げ積年忍苦の精神研鑽を挙げて・・・生等もとより生還を期せず」と読み上げる東大生の姿があった。若き日の江橋慎四郎である。生前、先生はこの場面に触れたがらなかった。そのことを承知で偲ぶ会は上映したのだ。全てを乗り越えて先生の豊かな人生がある。多くの仲間が空に、そして海に散った。先生も彼らのところへ旅立った。先生の人生を語る上で欠かせない一コマであり、先生も「あれを生かしてくれよ」とあの世から後輩に呼びかけているに違いない。

◇数日前、私は中国珠海市から戻った。訪中の目的は、来年群馬県でチュックボウルの東アジアの大会を開催するかを検討することであった。近日中に役員会で決定することになるが、江橋先生の偲ぶ会に出て、実行することになれば先生に捧げるものにしなければならないという思いを深めた。

◇今月の「ふるさと塾」は「偲ぶ会」が土曜日であったため変更して日曜日(24日)になった。今回は近づく巨大地震と原発事故の真実。(読者に感謝)