小説「死の川を越えて」 第85話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

小説「死の川を越えて」 第85話

 

  1. 関東大震災

     

 大正12年は大変な年であった。9月1日、未曽有の大地震が発生。午前1158分東京を中心に起きた巨大地震は関東一円を激しく揺すった。しかし揺すぶられたのは大地だけではない。人々の心であった。騒然とした社会で、ただでさえ人々の心には不安があった。大地の鳴動は人々の心を一層の不安に陥れた。人々は恐怖に戦(おのの)き巷(ちまた)には流言飛語が飛び交った。昼時と重なって木造家屋が密集する帝都は一瞬にして火の海と化した。後に、全壊・焼失家屋70万戸、死者行方不明14万人と判る。このような中で多くの朝鮮人が虐殺されるという異常事態が始まった。夜は群馬からも東京の空が赤く見えた。この状況は湯の沢の人々を言い知れぬ不安に陥れた。

 朝鮮人が暴動を起こし、それに対抗する民衆により多くの朝鮮人が殺されたというを知った時、正助は韓国の激しい抗日運動を思い出した。日本に支配され日本に併合された韓国の民衆は独立を強く求めている。そして、韓国の抗日運動は、国境を越えて中国の動きと連動して激しい炎となっていることを正助は朝鮮半島で肌で感じたのだ。だから、朝鮮人の暴動というのは、もしかするとあの抗日の一環かと思った。

 万場老人は動揺する人々に対して毅然として言った。

「軽挙妄動は厳に慎まねばならぬぞ。藤岡でも17人の朝鮮人が殺されたという。恐らく罪のない人たちじゃ」

「藤岡でそんなに多くの朝鮮人が」

 正助は驚いて叫んだ。万場老人は怒りを現して続けた。

「各地で朝鮮人の被害が出ているので、藤岡の警察署は留置所に保護したのじゃが、猟銃や日本刀を持った暴徒は留置場を破って乱入し、手を合わせて命乞いをする朝鮮人を殺したという。朝鮮人に対する軽蔑がそのようなことを可能にした。我々ハンセンも同じ立場に立たされることが有り得る。差別と偏見に晒される点では同じなのだ」

 万場老人は、正助を見据えて言った。

「差別と偏見は弱い所に向かう。今回の朝鮮人虐待には権力がその弱い人間の弱点を利用している向きがある。これも全体主義の現われと見なければならぬ。個人よりも、国家社会が大切という考えじゃ。国家は何のためにあるかがこういう時にこそ問われる。国家は弱者のためにあることを今こそ見詰めねばならぬ。だからハンセン病患者は朝鮮人虐待と無関係と思ってはならぬぞ」

 

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