小説「死の川を越えて」 第66話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

小説「死の川を越えて」 第66話

 

「このような党利党略の県政で県民の生命と幸せを守れるのか。今、内外ともに多難、正に国難の時ではないか。このような時、真に県民のための予算を編成して、県民の信を得て、力を合わせることこそ肝要ではないか」

「そうだ」

 傍聴席から声が飛んだ。

 木檜泰山の万丈気炎の演説は日頃差別扱いされている民政党議員の溜飲を下げるものであったから、彼らの間から大きな拍手が湧いた。

更に注目すべき議場の光景が傍聴席に見られた。この日、傍聴席が燃えていたのは、木檜泰山の発言内容が衝撃的であったからであるが、実はそれだけでなく、木檜の地元の支持者が大挙参加していたからであった。

 そして、これらの人々の一角にあって、木檜の熱演をじっと見守る数人の若者がいた。一団はその慎ましい傍聴ぶりで明らかに他と異なっていたが、特にその中の美女に人々の目が引きつけられていた。実は、この人たちは湯の沢集落の人たちで、美しい女性はこずえに他ならなかった。彼らは万場軍兵衛に良い勉強だからと勧められて参加したが、病をもつ身で何か咎められはしないかと不安の念を抱いていた。

万場老人は森山議員が承知しているから心配ないと言ったが、世間を憚(はばか)って生きる者として、県議会という大変な場所に居ることは針の筵(むしろ)に座るような心地であった。

「朝鮮でも、シベリアでも、日本が大変厳しい状況にあるとき、国内が政治の信を取り戻さねばならないのだ」

と木檜が発言した時、こずえは隣のさやにそっと囁いた。

「正さんはどうしているかしら」

 さやは黙って頷き、こずえの手を握った。この時、さやの心は未だ見ぬ戦地で戦う正助の姿を必死で追っていたのだった。

 

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