小説「死の川を越えて」 第63話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

小説「死の川を越えて」 第63話

正助は全大中の鋭い眼光の奥に並々ならぬ知性を感じ、あの洞窟に消えた日本人妻とはどういう人だったのかと想像し、またそれらの人々を湯の沢集落の万場軍兵衛の姿に重ねて思いを馳せた。

 正助は湯の沢集落のこと及び、ハンセン病の光と言われるハンセン病の人たちの自治の仕組みのことを説明し、日本に帰れたら、仲間が平等に生きられる社会のために尽くしたいと語った。全大中は大きく頷いた。傍らの賢姫は、いつか母の国に行きたいとつぶやいた。

 

  1. 群馬県議会

     

ある時、県会議員の森山抱月が万場老人に呟いたことがある。2人は旧知の間柄であった。

「同志木檜泰山に注目すべきですよ。反骨の闘将で正義感に溢れている。彼はハンセン病という社会の不正義を許さない筈だ。民政党の同志だが、この男の目を湯の沢に向けさせ一緒に仕事をしたいものだ」

 木檜泰山は吾妻出身の県会議員であるが、その後衆議院に入り、湯の沢集落のことを国会の場で天下に訴えた人物である。後に森山の狙い通り万場老人や正助が木檜泰山に近づき、不屈の硬骨漢を動かすことになる。この人物は吾川将軍と言われて地域の人に愛された。それは、書や漢詩をよくし吾川と号したことによるが、私心のない反骨で権力に屈することなく郷土を愛したことへの信頼と尊敬を物語るものだった。民衆は権力になびくが、権力に虐げられた長い歴史があるので、反権力には拍手を送りたい本性を持っている。

木檜は大正8年の県議会で大山惣太知事と激しく対決した。これには2人の政治信条及び属する政党の違いなど十分な理由があった。 大正8年、中央政界の中心は政友会の原敬内閣であった。

 この時代、第一次世界大戦による自由と民主主義の世界的高揚の中で日本でも民主主義の機運が高まっていた。

 

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