人生意気に感ず「平昌五輪の行方。五輪とは。憲法が問われる時。9条だけではない」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「平昌五輪の行方。五輪とは。憲法が問われる時。9条だけではない」

◇平昌冬季五輪が目前に迫った。異常な状況下の異常な五輪としてオリンピックの歴史に残るだろう。クーベルタンが近代五輪を提案して始まった五輪は平和の祭典である。この理念を踏みにじろうとしている北朝鮮。この五輪に合わせて大規模な軍事パレードを計画している。派手な美女軍団も、私にはこの軍事パレードと一体のものに見える。

 平和の祭典を妨げるものは、五輪を政治目的に利用することである。今回の北の姿勢は政治の中でも戦争という特殊な政治状況に五輪を利用していると見なければならない。

 五輪は参加することに意義があると言われる。これには勝敗にこだわるべきでないというスポーツの理想がある。北朝鮮の表向きの姿はこの参加の理想を利用しているのだ。

 この異常な寒波もこの五輪の異常さを際立たせている要素だ。北の国民は、ミサイル開発の重圧と世界の経済制裁の中で、この寒さにどう向き合っているのか。

◇この五輪に県勢の期待が高まっている。中にはスケート王国として知られる嬬恋村出身の選手もいる。大変な五輪だが、多くの選手はフェアプレーの精神で全力を尽くそうとしている。本県勢は群馬のスポーツ、群馬の教育のために死力を尽くして欲しい。それは来るべき東京五輪に通じる。五輪が様々な問題を抱える中で、東京五輪ではさすが日本というところを示さねばならない。平和な国の平和な祭典の実現である。それを支えるものは日本の平和憲法であることを指摘したい。

◇国会で憲法が大きな問題となっている。国難の時だからこそ憲法の在り方が喫緊の課題となっている。国難とは北朝鮮に関する安全保障の問題だけではない。南海トラフ型、及び首都直下型の巨大地震がすぐそこに近づいている。この状況に対して国民を守る基本は憲法である。1946年以来一度も改正されない憲法は、よくここまで大過なくやって来られたと思う。30mを超す大津波に多くの自治体が壊滅的被害を受ける。国の基本は地方自治にあるが、それが機能しなくなる恐れがある。そのような非常時に備える憲法上の制度を準備しておかねばならない。想定外という言葉がはやっているが、現在行われている「法律」、これには憲法も含まれるが、これにも想定外が起こり得るのだ。来る東京五輪はこのことも考えて万全を期さねばならない。待ったなしなのだ。(読者に感謝)