シベリア強制抑留『望郷の叫び』第31話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留『望郷の叫び』第31話

「そっと横にさせよう」

 塩原さんが言った。私とドミトリーが抱えてソファーにのせた。青柳さんは幽かに右手を上げて何か訴えようとしている様子であるが、その手も力なく下がってしまった。

「青柳さん、どうしました、しっかりしてください」

私は静かに言った。答えはない。意識がなくなっているように思えた。異国の出来事なので私たちはどう対処してよいか分からない。

この時、ドミトリー青年が冷静に的確に行動を起こした。

「まず、総領事館ですね」

彼はそう言うと、片手でさっとメモ帳を開き、もう片方の手で携帯電話のボタンを押した。私はドミトリーの指先を見詰め、息をのんで応答を待った。

「昼で、だめです」とドミトリーは言った。一秒一秒が長く感じられる。青柳さんがこのまま回復しなかったらどうしよう。私の不安は高まっていく。頑張ってくれ、と私は祈った。ドミトリーだけが頼りであった。彼はいろいろな所へ電話している。ロシア語で話すドミトリーの声も緊張している。

彼は私の方を向いて言った。

「すぐに救急車が来ます」

私はほっとした。十分くらいというが、その間が長く長く感じられた。やがて、三人の太った女性救急隊が姿を現した。彼女たちは、青柳さんの腕をまくり、脈を触診、まぶたを裏返したり、心臓に手を当てたりしはている。ロシアの医療スタッフは、正規の医師と看護婦そして中学卒業後三年間の医療の訓練と教育をうけた補助医から成っている。目の前の女性は看護婦か補助医か。彼女たちは顔を見合わせて何やら囁き合っている。私には、彼女たちがいかにも心もとなく見えた。焦る心を抑えてドミトリーを見た。ドミトリーも同じ気持ちであったらしい。女性と何か話していたが、

再び携帯電話でどこかに連絡している。彼は話の途中で私の方を向いて、青柳さんの年齢、普段の病気について尋ねた。私は、心臓の持病のことを話した。彼は、再び電話の相手と話していたが、間もなく話し終えて、私に言った。

「ドクターが来ます」

地獄に仏とはこのことだと思った。間もなく、恰幅の良いドクターが助手を連れて現われた。助手は重そうな医療用器機らしいものを携えていた。ドクターは、それからラインを伸ばして青柳さんに取り付けている。心電図をとるらしい。

「日本の機器です」

ドミトリーが小声で言った。ドクターは体温と血圧を測り、心臓に手を触れ、機器から出てくるデータを見ていた。

 

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留『望郷の叫び』」を連載しています。