小説「死の川を越えて」 第26話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

小説「死の川を越えて」 第26話

 

 時代は内外ともに激しく動いていた。そうした政治、社会状況はハンセン病患者に対しても、直接、間接に大きな影響を与えた。なぜなら国のハンセン病対策は予算に関わることであり、その予算は景気の動向や国防費の増大に左右されたからである。また軍国主義の気運が高まる中で、ハンセン病に対する偏見と相まって、この病気を聖戦を汚す国辱ととらえる傾向が生まれ、このことが偏見を更に助長するという悪循環に繋がったからである。

 万場老人を訪れたイギリス人宣教師、コンウォール・リーが湯之沢集落でハンセン病の救済活動に入ったのは大正5年のことであった。そのきっかけは、椚原清風等の熱い思いに接したことであるが、前記のさやのような少女の保護があった。男性患者の争奪の的となった患者の少女を憐れみ、湯之沢集落の太平館の一室を借りて保護したのである。リーは、翌年には、同じような立場の少女3人を保護している。このような状況を考えたとき、仲間の青年正助に助けられ、熱い喜びを共有出来たさやは幸せであった。リー女史はその後、莫大な私財を投入して病院を作るなど、キリスト教に基づく救済事業を展開していく。

 大正5年といえば西暦では1916年。2年前に第1次世界大戦が勃発。これは、ドイツを中心としたその同盟国とイギリス、フランス、ロシア等の戦いだった。日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦布告し、中国におけるドイツの根拠地を占領し、その他ドイツの利権を強引に継承する動きに出た。中国民衆の反日感情は強かったが、中国に二十一カ条の要求を承認させたことにより、中国国民の反日感情は一層激化した。中国へ強引に進出する動きは、日本の運命を誤った方向に導くことになる。そして、軍国主義の激しい渦の中にハンセン病の人々は巻き込まれてゆく。

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。