小説「死の川を越えて」  第11話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

小説「死の川を越えて」  第11話

「奴の死を見て親分などと言われていい気になっていたのが馬鹿らしくなってきやした」

 太平は頭をかきながら続ける。

「仁九郎は以前から神も仏もねえと言っていたが、死ぬ前に妙なことを言うんでさあ。人間というもんは死を受け入れると神や仏を感じるもんでしょうか。頼朝を祭った部落の白旗神社のことまで口にしやがった。普段、神も仏もねえと言っていた男の言葉にぐっと来るものがありやしてね。何か教えてもらいてえと思ってやってめえりやした」

「うーむ。仁九郎親分が白旗神社を口にしたとはのう。あれは湯の川地区開村にあたり、本村と交渉して、頼朝を祭ったお宮をわざわざ集落の西の入口に移し、白旗神社と名を付け、集落の氏神としたのじゃ。この白旗神社の建設を何と考えるか。わしは、この集落の決意を表したと見る。本村から分けて患者を追い出した差別と偏見に対する意地じゃ。仁九郎さんは、自分の中の意地を本物の意地と比べて突き動かされるものがあったのではなかろうか。意地に生きた男が最期につかんだ本物の意地を無駄にしてはなるまい」

 万場老人の目が鋭く光った。

「なるほど、ご老人。少し目の前が開けてきたような気がしますぜ。同じ意地にもちっちぇえ意地とでっけえ意地があるのが分かりやした」

「よくぞ申した。親分。源頼朝は、武士の世の中をつくった。武士は単に人殺しの集団ではない。乱れた世の中に平和と秩序をもたらす力であることを天下に示した。それこそ、天下に侍の原点、つまり侍の意地を示したのだ。その頼朝を集落の守り神に据えた、この集落の先人の意地を忘れてはなるまい。それは、我々ハンセン病の患者も人間であることを天下に示そうという意地なのだ。神も仏もない、その日その時がよければいいという生き方は源頼朝の意地に反するものとは思わんか」

 万場老人はきっぱりと言った。

 

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。