小説「死の川を越えて」 第6話
仁助が湯の川地区から姿を消して数日が過ぎたある日、馬を引いた仁助が福島県の山村の一軒の農家に近づいた。秋の日は既に西の尾根にかかり、農家を囲む森が長い影を落としていた。仁助がわら屋根の農家に近づいた時、彼の前に進み出た人影があった。
「こら、どこへ行く」
「どこへ行こうと勝手ではねえですかい」
どすのきいた声と鋭い眼光に驚いた様子の男は、これが見えぬかとばかりに腰に下げたサーベルを動かした。
「へえ、管区さんかね。そんなものをちらつかしたって、びくつく俺様じゃねえ、それに何も悪いことはしちゃいねえ。弱い者いじめの管区さんが何の用でえ」
「怪しいヤツだ。ちょっと署まで来い」
巡査はそう言って仁助の腕をつかもうとした。
「何をするんでい。冗談じゃねえ。俺たち虫けらにも意地があるんですぜ。ちょっとおとなしくしてもらおうじゃねえか。えいっ」
仁助の口から裂帛の気合いが漏れたと思うと、当て身をくらって巡査は崩れ落ちていた。
「ざまあみやがれ」
仁助はつぶやいて巡査に猿ぐつわを噛ませ縄で縛り、側の納屋に引きずり込んでしまった。あっという間の出来事だった。
仁助はつかつかと農家に入っていった。外の争いを感じてか、中は異様な空気で満ちていた。仁助は言った。
「あんたがこの家の主ですかい。大変なことになっているそうですな。ある男から聞きました。六蔵と言えば分かると言っていた」
「おお、六さんが」
主人は怯えた表情で後ずさった。
※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。