人生意気に感ず「500人を前に紙芝居。前橋の一番熱い日。広島と長崎の地獄」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「500人を前に紙芝居。前橋の一番熱い日。広島と長崎の地獄」

◇8月5日、500人を超える留学生を前に紙芝居を演じた。紙芝居は2部構成。1部は「へいわ845」、2部は「前橋の一番あつい日」である。1部は毎週水曜日の朝8時45分の朝礼で、私が平和を語るシリーズ。それに肉付けして紙芝居にした。ノーベル平和賞のマララやネルソンマンデラも登場する。イスラムの少女マララは女性の教育を訴えて史上最年少の17歳で受賞。イスラムの過激派は女性の教育に反対である。私は「女性が賢くならねば平和は実現しない。マララの勇気に学ぶべきだ」と訴えた。ここで大きな太鼓がドドンと響く。

 

 マンデラはアパルトヘイトに抵抗して27年間投獄された。南アフリカ共和国の人種差別政策・アパルトヘイトは世界から激しく非難された。人種差別は戦争の原因であり、平和の敵である。マンデラは出獄後、ノーベル平和賞を受け、人種の融和と協調に尽くした。

 

◇第2部は、8月5日夜の前橋大空襲が中心。反撃に転じたアメリカに南の島を奪われた日本は追い詰められていく。昭和20年3月10日の東京大空襲の絵が登場する。

 

「300機のB29が東京を襲いました」、「東京は火の海と化したのです」、「わあー、この世の終わりだー」、「実に10万人余りの人々が命を落としたのです。正にこの世の地獄でした」、「魔の手は前橋に迫っていました」

 

 こうして遂に20年8月5日午後10時30分の場面となった。

「92機のB29は、情け容赦なく焼夷弾を雨のように降らせ市街の大半を焼き尽くしました」、「前橋の人々は地獄の業火の中で泣き叫び逃げ惑いました」、「この絵の中に私もいます。私はこの時3歳でした」

 私は怒りの心で大太鼓を力の限り叩いた。広い会場は水を打ったように静かだった。

 

「死者は535人。前橋市は廃墟と化していました」、「明日からどうなるのだろう。人々の心は不安でいっぱいでした」、「しかし、翌8月6日、もっと恐ろしい、想像を遥かに超えた出来事が起こりました」

 こう言って、私は広島と長崎の2枚の絵を登場させた。

 

「きらめく閃光。巨大なきのこ雲。爆心地は3千度から4千度になり、半径1キロ内の瓦はあわ状に火ぶくれを起こしました。人間など一たまりもありません」私は前よりも力を込めて太鼓を打った。(読者に感謝)