今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第35回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅― 第35回

岩田さんは、薬の瓶を入れた雑のうを背に歩きながら迷っていた。重病兵は放っておいても一両日の命である。玉砕命令が出た以上自分も明日のない命だ。赤紙で召集され、重傷の身となって、足手まといだから毒殺とは。いろいろな思いが去来して定まらない。その時、また銃爆撃があり、爆風に吹き飛ばされるようにして地べたに這いつくばった。これで死ぬと覚悟した。爆音の中で重病兵の姿が浮かんだ。そして彼らもこの爆撃にさらされた同じ運命の仲間、という考えがひらめいた。岩田さんは薬瓶を夢中で地中に埋めていた。

 

 戦いが終わりラエ野戦病院の重病兵は捕虜となり、その後日本に帰された人々がかなりいた。岩田さんは、毒殺命令を実行しなかったために何十名かの人々が日本に生還したと確信している。昭和21年6月頃、群馬県西部のある元兵士が岩田さんを訪ね、ラエでは本当にお世話になったとお礼を言った。この人はラエの野戦病院で意識不明の重症のまま捕虜となり、その後オーストラリアから送還された人である。更に話を聞けば、あの時の負傷兵の一人であることがわかったという。戦後50数年、この平和な時代に私は自由に豊かに生きている。あの命令を実行していれば私の現在の人生はあり得なかったと、岩田さんは澄んだ目で私を正視して言った。岩田さんの言葉を私はすぐに心で受け止めることが出来た。豊かにとは、心豊かにですね。たずねると、岩田さんは大きく頷いた。自分の決断は誤っていなかった、そのために多くの命を救うことが出来た、岩田さんは地獄の戦場から生還して、このことを確信したに違いない。逆に命令を実行していたら、暗く重いものを引きずって隠れるように生きねばならなかった。自由で豊かに生きているという岩田さんの言葉の意味を私は直ちに、このように理解した。

 

※土日祝日は、中村のりお著「今、みる地獄の戦場 -ニューギニア慰霊巡拝の旅―」を連載しています。