小説「楫取素彦物語」第176回
モルフィ裁判に挑戦す
モルフィは、遂に娼妓佐野ふでを救出する訴訟を名古屋地裁に提起した。それは廃業届けに捺印を求める訴訟である。
廃業届捺印請求には、次のような前提がある。明治五年の太政官布告は、娼妓契約を無効とし娼妓を解放した。しかし、その後の実態は変わらなかった。業者の屁理屈はこうだ。女郎を拘束して自由を奪うからいけない。業者は座敷を貸し、女郎は営業主として売春をする。つまり、業者は貸座敷業者となった。これを逆手にとったのがモルフィの作戦だった。女郎が営業主なら、始めるのも勝手、止めるのも勝手のはず、だから自由廃業が認められるという論理である。ところで敵もさるもの、国は、娼妓取締規則を設けて娼妓を厳しく取り締まった。そして、取締規則は、廃業届には楼主の捺印を要するとあった。そして、廃業届に業者は印を押さない。そこで捺印を求める訴訟の提起となったわけである。
遊女佐野ふでの救出をモルフィが決意するにはあるいきさつがあった。ある日モルフィのもとへ、立派な身なりの男女の老人が訪れた。男は、モルフィが楫取に会い、穂積博士を訪ねたことを知っていた。要件は、女の遠縁に当たる遊女がどうしても廃業したいと言っている、この遊女を助けて欲しいというものだった。
女は言った。
「私は昔、仕事でアメリカ、上海など外国によく行きましたが、日本の賎業女性の醜態は目に余ります。日本の対面は丸潰れでございます。多くの日本人が日本の発展に命がけで頑張っているのに台無しです。そのもとは公娼があるからです。アメリカ人のあなたが裁判の手段でこの問題を追及することは誠に意義のあることです」
意外な話にモルフィは驚いて身を乗り出した。
※土日祝日は、中村紀雄著【小説・楫取素彦】を連載しています。