人生意気に感ず「藤田三四郎さんと話す。生きるに値しない命と安楽死」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「藤田三四郎さんと話す。生きるに値しない命と安楽死」


◇9月30日、草津の楽泉園を訪ね、藤田三四郎さんに会い、その後重監房資料館を見た。藤田三四郎さんは、白馬という住居にすんでおられ、親しく話すことが出来た。回を重ねているが、この日は、この人の口から、三国同盟とヒトラーのことが出たのには驚いた。

 

 ヒトラーは、不治の病の者、精神病者などを皆殺そうとした。ハンセン病者も含まれていた。同盟を結んで戦った日本も同じだという口ぶりに見えた。また、ドイツと組んだ関係で、特効薬プロミンが偶然にもドイツから入ったことも話しておられた。戦闘機メッサーシュミットの中に置かれた一冊の医学書が東大の薬学教室に持ち込まれ、プロミンのことが分かる。結核の薬として開発されたプロミンが結核菌と兄弟の関係と言われたハンセン病菌に「驚異的」な効き目があると分かって、その後のプロミン闘争に繋がったと話しておられた。

 

◇藤田三四郎さんが触れた話は、私の小説の中でも「生きるに値しない命」として、登場する。今の世に、この危険な思想が頭をもたげつつある不気味さを感じる。超高齢社会が進む中で、死が迫っているような人の命をぼろきれのように軽視する考えがある。極めて危険な兆候だ。人権を理解しない世相、そして、人の命を軽く考える人々が勢いを増している。それが日本の社会の病巣と結びついている。

 

◇最近、知人のある女性が、安楽死のことを口にした。世界には安楽死を認める国もある。法的に認めることのない日本でも、かつて裁判でこれが争われたことがあったし、時々事件が起きている。今、安楽死の問題がじわじわと隣に近づいている。ひとたび認めたら大変な事態に発展する。安楽死と殺人の境は微妙で紙一重である。人命軽視の風潮の中で、堰を切ったように「生きるに値しない命」として処理される恐れが現実となるかも知れない。

 

 昔、名古屋地裁で、安楽死の要件が論じられた。裁判官は可能性としては認めたが現実には限りなく難しい。今日、この問題をきちんと議論する時が来たと思う。

 

◇容疑者の絞り込みが難航している。「滴下の速度を調整した可能性」、「未使用分の10袋にも穴が確認」、「同じ日に5人が亡くなった」、「三カ月で4階の患者48人が亡くなった」等、不審なことが多すぎる。ここで働いていた医療従事者が不審に気づきながら行動を起こさなかったとすれば、それ自体が大問題だ。(読者に感謝)