人生意気に感ず「リー女史の記念館で思う。知事も議会も無視された。蓮舫の国籍」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「リー女史の記念館で思う。知事も議会も無視された。蓮舫の国籍」


◇14日(水)、早朝7時に家を出て、妹と白根開善学校及び草津を目指した。妹は助手の役である。開善学校は、映画「楫取素彦物語」の放映及び「100キロ強歩」等についての打ち合わせが目的。強歩はこの学校の存在を象徴する伝統の行事である。かつて私は、70キロを歩き、夜の与喜屋林道でダウンしたことがある。今回は無理をしないで20キロを歩こうと思う。

 

 今回、100キロ強歩を主なテーマにした映画を作る企画があり、その打ち合わせのため櫻井監督も同席した。花敷温泉、尻焼温泉と断崖に張り付くような細い道を辿ると雑木林で猪の親子に出会った。母親の後をついて、2・3匹のウリ坊が草の中に逃げ込む姿が見えた。今年は、山の木の実が不作なのだそうだ。

 

◇草津は、救らい事業に生涯を捧げたコンウォール・リー女史の資料が目的であった。私は今、ハンセン病(癩)をテーマにした小説を書いているが、この小説の中にリー女史が登場する。ハンセン病の歴史を語るとき、リー女史は欠かせない。私は、草津聖バルバナ教会と並んで立つ、記念館で牧師を含めた3人の人と話すことが出来た。

 

 この記念館は非常に分かりずらい所にあった。林に通じる細い道の入口に「リーかあさま記念館」と書いた小さな看板があった。リー女史は「かあさま」と言われて住民から慕われていた。リー女史の真の姿を肌で感じたかった。イギリスの名門の貴族の出。膨大な私財を救癩に投じて84歳で世を去った。「私が草津について本を書くとしたら『喜びの地』という題にするつもりです」と語ったという。死は昭和16年12月18日。太平洋戦争の勃発はその10日前であった。人間の尊厳のために闘った人生だった。人間の尊厳を掲げた日本国憲法の公布は昭和21年だった。

 

◇盛り土をしないという決定を知事にも議会にも知らせなかった。この職員の独断振りは知事も議会も無視した官僚のみによって都政が行われていることを意味する。議会の形骸化は想定内で驚かないが、知事迄もかと呆れる。石原も舛添も形だけの華やかな存在だった。舛添の辞職に至る醜態は知事の形骸をも物語るものだった。

 

◇民進党の蓮舫氏の二重国籍問題は、同党の屋台骨の危機を意味する。民進の幹部すら党の存亡にかかわると言っている。日本国民による政治という根幹の問題だ。民進はどうなるのか。(読者に感謝)