人生意気に感ず「号泣県議の断罪。ハンセン病・最高裁の謝罪」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「号泣県議の断罪。ハンセン病・最高裁の謝罪」

◇号泣県議として一躍有名になった元県議野々村竜太郎に検察は懲役3年を求刑した。詐欺罪は10年以下の懲役を定める。政務活動費をだまし取ったというもの。あの醜態には県会議員などはあんなものと思った人が多かったに違いない。世の中の非難は強いし、ことは税金の詐取という反社会性の強い犯罪だから、判決は厳しいものになるだろう。問題は、あのような人物も当選出来ることだ。判決は、有権者の選択眼に対する批判でもある。

 政務活動費に対する世間の目は厳しい。正しく使われていないと見られている。私は県会議員の時、この問題で税務署の特別監査を受けた。無事に済んだが、非常に厳しい追求であった。政務調査費は、調査活動のための有力な武器で、有効に使えばいい政治活動が出来る。民主主義の理想を実現する手段でもある。民主主義は現実との間に乖離がある。それを縮めなければならない。いい加減な政務調査費の使い方は、この乖離を物語る。号泣県議の醜態は、政務活動費問題に対する強い警鐘となった。

◇最高裁が謝罪した。ハンセン病(癩病)に関する特別法廷の開催で過ちを認めたのだ。ハンセン病の歴史ほど、無知と偏見が人間性を踏みつけたものはなかった。最高裁を頂点とする司法制度は人権を守る砦の筈。過ちを認めて公衆の面前で頭を下げたことは極めて異例で画期的であるが、遅きに失したし、なぜ、人間否定に手を貸す大罪を犯したかという感は否めない。私は、最近も草津の楽泉園を訪ね、重監房に入って見たが、今、振り返って、この感を抱く。

 最高裁の過ちは、正規の裁判所以外で開く裁判である「特別法廷」をその要件が整わないのに認めたこと、及び、裁判の公開性に違反したことである。憲法は「刑事被告人は公平な裁判所の公開裁判を受ける権利を有する」と定める。今回の謝罪は、司法の砦の一角が腐っていたことを物語る。

 私は今、「癩の嵐」(仮題)という小説を書いているが、洋の東西を問わず、癩は恐ろしい病として嫌われ、遠ざけられたことを振り返っている。遺伝病ではないし、感染力は極めて弱い。それにも拘わらず多くの犠牲者を出し続けたのは、無知と偏見だった。無知が偏見を増幅させた。裁判所までがその片棒を担っていたのだ。(読者に感謝)