人生意気に感ず「白根開善学校とは。不思議な縁の女性。藤田三四郎さん。重監房」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「白根開善学校とは。不思議な縁の女性。藤田三四郎さん。重監房」

◇今月9日、白根開善学校の入学式に出て、その足で栗生楽泉園を訪ねた。実りある一日を紹介したい。八ツ場ダム建設に関することで吾妻渓谷は一変したが、白砂川に沿った六合の村々の風景は変わらない。花敷温泉を過ぎ、垂直に切り立つ断崖に沿って進むと尻焼温泉に出る。開善学校は更に山奥にある。「100キロ強歩」に参加した昔の光景を思い出しながら蛇行した山道を進んだ。

 新入生は6人である。私は理事の一人で、次第には名前がないが、思うところがあり、理事長に頼んで挨拶の機会を得た。在校生、父母、そして社会に向かって訴えたかったのだ。

「およそ40年前、この学校の設立が報じられた時、世の中の反響は凄いものでした。ここには本物の教育の原点があります。人間は本来、自然の中で生き、学ぶもの。孤独に耐え、冬の寒さに耐え、都会の誘惑に背を向けて、限界に挑戦することは素晴らしいことです。私の長男周平は、100キロ強歩で3度完歩し、それが今社会に出て生きる大きな支えになっています」

 実は、この時、私の挨拶を聞いていたSさんという女性の存在に気付かなかった。帰途、楽泉園を訪ね、職員に案内されて藤田三四郎さんの部屋に入った。炬燵には一人の来客があった。90歳の三四郎さんは今や時の人である。私は「癩の嵐」という小説を書いている。取材で三四郎さんと会うのは2度目。来客の女性は言った。「あら、先程の中村さん」開善学校の入学式で私の挨拶を聞いていたSさんだった。話すうちに、Sさんは、亡くなった私の友人の縁者で、私の弔辞を聞いたという。三四郎さんとは旧知の間柄らしい。

 湯之沢部落のこと、癩の偏見のことなど、三四郎さんから生の体験を聞きたかった。Sさんも昔のことを知っていて、良い話しが聞けた。三四郎さんの頭には壮大な差別と偏見の歴史が詰まっている。近く最高裁はかつての不公平な司法の姿を謝罪するという。三四郎さんの部屋を出て、楽泉園の一角にある重監房博物館をみた。復元された建物の中の厚いコンクリートに囲まれた窒息しそうな空間に、前回、私は横たわった。壁には収容者の呪いの言葉まで再現されている。93人が収容され、23人が死んだ。この日、DVDをスクリーンで見た。正にアウシュビッツ。差別と偏見は今日的課題である。世の中全体が無知故に癩の人たちを「いじめ」ていた。車を止めると、かつて死の川と呼ばれていた湯川の音が木々の間に響いていた。(読者に感謝)