人生意気に感ず「ふるさと塾で真珠湾攻撃を。太平洋戦争とは。次はミッドウェイとニューギニア」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「ふるさと塾で真珠湾攻撃を。太平洋戦争とは。次はミッドウェイとニューギニア」

◇26日の「ふるさと塾」はテーマを変更して「真珠湾攻撃」にした。太平洋戦争を始まりから辿る必要を感じたからだ。冒頭、私は「大きな歴史の流れに、出来事を位置づけて考えねばなりません」と述べた。絶望的な外交交渉が続けられる中で攻撃の秘策は練られ決行された。戦争回避のためアメリカが突きつけた条件は中国からの撤退だった。昭和天皇が、東條首相に受け入れをはっきり述べれば回避は可能だったかも。明治憲法の下でも、立憲君主制の原則から天皇は政治を動かす言動は慎んだ。「しかし」と私は思う。

 数千キロも離れたハワイへ気づかれずに近づいて攻撃することは不可能と思われた。「ニイタカヤマノボレ1208」、「トラ、トラ、トラ」。これらはそれぞれ「決行せよ」、「奇襲に成功せり」の暗号伝文である。30分前に通告の予定が外交官のミス等で1時間20分も遅れた。「だまし討ち」ととられても当然。ルーズベルトは議会で「恥辱の日」と訴え、国民は憤激。「リメンバー・パールハーバー」が世論となりアメリカは直ちに日本に宣戦。同時にドイツにも。チャーチルは、これでヒトラー、ムッソリーニの運命は決まった。日本は完膚無きまでに打ちのめされるだろう」と狂喜したという。

◇真珠湾の勝利は中途半端であった。巨大な石油基地、修理工場を叩かなかったため、アメリカの立ち直りは早かったのだ。また、山本長官はミッドウェーの攻撃も支持したが南雲中将軍は決断しなかった。来月は、ミッドウェー海戦からニューギニアに入ることになる。

◇特殊潜航艇で湾内に侵入し帰らぬ人となった26歳の岩佐直治は前橋の人で、前中から海軍兵学校に進んだ人。この話に及んだ時、塾生の女性が驚くべき発言をした。「私が小学校6年の時、軍神岩佐直治の映画がつくられ、エキストラで出演しました」。これを聞いた他の塾生は、「その映画を捜しましょう」と言った。

 次回は「ミッドウェイとニューギニア」と告げたら、「岩田亀作さんを呼べませんか」という提案が出た。地獄の戦場・ニューギニアからの生還者は98歳。先日の祝賀会は、体調が悪いとかで出られなかった。もし、来月の第4土曜の「ふるさと塾」に出席可能とすれば、岩田さんにとって、恐らく人々にニューギニアを語る最後の機会になるだろう。万全なサポートの下で出席可能か話をしてみるつもりである。(読者に感謝)