人生意気に感ず「神戸女児殺害に死刑。死刑制度と裁判員制度。終身刑を」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「神戸女児殺害に死刑。死刑制度と裁判員制度。終身刑を」

◇女児殺害の裁判員裁判で、神戸地裁は死刑を言い渡した。栃木県でも女児に関する犯罪が多発し、その一つである今立小女児殺害の公判が進んでいる。こちらも裁判員裁判である。女児に対する残虐な犯罪は跡を絶たない。司法の民主化の一環としてスタートした裁判員裁判は定着したようだが死刑判決に向き合うことに、一般市民は耐えきれない程の重荷を感じることだろう。

 死刑は究極の刑である。人類が社会生活を始めて以来、秩序を維持する手段として刑罰は不可避であった。最古の成文刑法としてハムラビ法典は有名。「目には目を」というこの法の応報刑の本質は現在の私たちの刑罰の根幹をなしている。しかし、刑の目的は応報に尽きることではない。人権を尊重する社会では、特に教育と更生をも重視せざるを得ない。

◇憲法36条は「残虐な刑罰は絶対に禁ずる」と定める。死刑は残虐な刑ではないというのが最高裁の判例である。私は基本的には死刑廃止論者であるが、死刑の犯罪抑止力は否定しえない。最近の凶悪事件の傾向の下で死刑肯定の世論は圧倒的に思える。しかし、文明国にあって、特に人権を重んずる憲法の下で死刑の運用は抑制的でなければならない。

◇従来の判例の傾向は、「複数を殺し、更生の可能性がない場合」に極刑を科すというのが相場であった。先行事例との「公平性」ということも重要である。ところが、最近は、一人を殺した場合の死刑が増え始めた。今回の神戸地裁もそうである。4件目である。裁判長は、「残虐性が高く、死体損壊も凄惨、人命軽視は甚だしく顕著で死刑を回避する事情は見当たらない」と述べた。

◇上級審がどう判断するか注目される。裁判員裁判は司法に民意を反映させることを一つの目的とする。職業裁判官は慣れで人を裁くから血の通った裁判がなされない恐れもあると言われる。逆に素人の裁判員は感情に動かされる恐れなしとしない。私の周辺の女性などは異口同音に、今回のような事件に関し「当然死刑よ」と言い切る。死刑に伴う問題は「冤罪」である。万一の時、取り返しがつかない。もう一つの制度上の問題は死刑と無期の差が大きすぎる。選択肢がないことで死刑になるという事態は避けなければならない。死刑囚の手記を読んだ。バッタバッタと執行する国もある。団藤重光さんの廃止論を聴いたことがある。(読者に感謝)