人生意気に感ず「懲役10年以上の不定期刑。清原の逆転ホームラン。ハンセンの歴史。ミサイル発射」
◇懲役10年の不定期刑の求刑があった。上村遼太君殺害の主犯格の少年(19)に対し、検察は「少年事件の中でも特に残虐性が高い」として、この刑を求刑した。少年法は少年の人格の可塑性を重視する。刑の目的には懲らしめることと更生させることがあるが、少年の場合、人格が固定していない、つまり可塑性が高いので、後者を重視する。変化は時と共に現れるから不定期刑が望ましい。
少年の残虐性は社会の縮図とも。複雑な享楽の社会が人間に潜む悪魔を育ててしまう。仇討をしたい親の気持ちが分かる。10日に一審の判決が下る。
◇盟友桑田が会見で語った。「断られても苦言を続ければよかった」、「またきれいな放物線を描く逆転満塁ホームランを打って欲しい」。人生の逆転満塁ホームランを打つことが、少年たちの夢を壊したことへの責任である。清原の状態はまだ地獄の一丁目だろう。煉獄から生還し、手記を出せばそれがホームランになる可能性がある。私ならその道を選ぶ。今の日本は、そういう許容性が高い社会なのだ。敗者復活が許される社会であることが救いである。
◇群大と栗生楽泉園、及び入園者自治会が事業連携の協定を結んだ。ハンセン病に対する偏見と差別の解消に向けて正しい知識を普及させようとするもの。無知ほど恐いものはない。無知が差別と偏見を生む。ハンセン病の歴史はこのことを物語る。患者自治会の会長藤田三四郎さんが新聞に大きく写っている。過日、私は楽泉園で藤田さんにお会いし、高齢にも拘わらず驚異的な記憶力に圧倒された。その時、復元された重監房に入り息が詰まるような所に横になると、壁には怨みの言葉も再現されていた。
ハンセンが癩菌を発見したのは1871年(明治4年)のこと。これにより遺伝病でないことは科学的に証明されたのに、断種が強制され人間否定の残虐行為が長く続いた。ハンセン病の歴史は人間の回復を求める人権闘争の歩みであった。背景には戦争を遂行する全体主義と重なる時期があった。聖戦を妨げる国辱の存在と見られたのである。差別と偏見は今日的問題であることを忘れてはならない。
◇北朝鮮のミサイル発射で緊迫した状態が続く。戦争は嫌だ。平和は切なる願いだ。しかし平和は丸腰では守れない。(読者に感謝)