小説「楫取素彦物語」第64回
この年の十二月、伊之助は、儒官の中から抜擢され則儒役に任ぜられた。藩主の側に仕える秘書的な存在である。
ある時、伊之助は呼ばれて毛利敬親公の前に出た。
「お前が松陰の義弟か」
「はい、恐れいります。左様でございます」
「惜しい男を失った。幕府め許さぬぞ。十一歳のとき余の前で兵学を講義した。見事であった。これからが我が藩の意地の見せどころと心得よ。
松陰のことを思いながらお前に頼むこともあるだろう。よろしく頼むぞ」
「ははー。誠にもってありがたいお言葉。草場の影で義兄も感激していることでしょう。この伊之助、全力を尽くしてお役目を果たす覚悟でございます」
敬親公は満足げに頷いていた。
攘夷を貫く長州藩に一大事が生じたのは文久二年から三年にかけてのことであった。
文久二年(1862)、長州藩は藩の方針を大きく変えた。「公武合体」から「破約攘夷」への変換であった。それは、京都屋敷の会議で行われた。伊之助は藩主敬親に従って京に来ていた。
伊之助は秘かに玄瑞と会った。
玄瑞が言った。
「義兄者(あにじゃ)、私は明日の会議では断固、破約攘夷を主張する決意です」
「幕府を敵にすることを覚悟の上か」
「もとよりです。我等が師、松陰先生が、机を叩いて、勅命に逆らった幕府を非難した姿が思い出されるではありませんか」
※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。