小説「楫取素彦物語」第60回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

小説「楫取素彦物語」第60回

「ようく分かりやした。松陰さんの最期の頼み、この吉五郎確かにお受けいたしやす。この吉五郎、これまで碌なことをしてこなかった。こんな吉五郎にとってこれ以上名誉なことはございません。命をかけてお引受けいたします」

 吉五郎も感激の涙を落としていた。

 松陰は処刑の二日前、二五日に「留魂録」を書き始め二六日夕方書き上げた。

 留魂録は、次の歌で始まる。

 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

 半紙四つ折十枚にびっしりと細書きされたもので、幕府法廷での取調べ状況、獄中の動静、死に面した心境、塾生に託すことなどを細細と書いた。二部作り、一部は獄中から萩へ送られたが、塾生間で回覧されているうちに行方不明となった。もう一部は沼崎吉五郎に託された。吉五郎は伝馬町の獄から出て三宅島へ遠島になった。流罪から帰った吉五郎は明治九年頃、神奈川県権令・野村靖に渡した。今日、人々が見ることが出来るのは、吉五郎のお陰である、実に17年間、吉五郎は獄中での約束を守り続けた。神奈川県権令・野村靖は、かつて松下村塾の塾生だった人である。

 松陰は安政六年(一八五九)十月二七日、斬首された。三十歳であった。維新まであと九年であった。

伊之助は松陰の死を知って、暫くの間瞑目した。

(惜しい男を失った。この結果を避けるために俺はもっと努力すべきであった)

伊之助の目から一筋の光るものが頬を伝って落ちた。

※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。