小説「楫取素彦物語」第47回
「さすがに幕府は重大さに気付き、為す術が分からず、異例の措置に踏み切った。諸藩に意見を求めたのだ。それでも事態を開く道が分からず、朝廷にお伺いを立てた。朝廷の威を利用せんとした姑息さが見てとれる。孝明天皇は断固反対の御意志を示された。井伊大老はこの勅命に逆らったのだ。このように明確に朝廷を無視した例は日本の歴史にない。天皇の顔に泥をたたき突けたのだ」
「そうです。我が毛利として、井伊を許せない。切るべきです」
高杉晋作が叫んだ。
「私はこれまで公武合体を進めてきた。朝廷と幕府が手を握り力を合わせて国難に当たらねばならぬと信じたからだ。
しかし、考えよ諸君、この違勅の断行によって朝廷と幕府が手を結ぶ土台は吹き飛んだ。
もはや公武合体を進める余地はない。このままでは、日本はうちから崩れてしまう。今、私たちの選ぶ道は何か。今の幕府になど任せられぬ。倒幕あるのみ」
松陰の熱弁は教室の空気を圧していた。そして若者たちの熱気は一つとなって、そこから何かが生まれようとしていた。渦巻くエネルギーこそ、これからの日本を衝き動かす力であった。
安政五年という年は西暦では一八五八年、日本にとっても長州にとっても逆巻く狂涛が襲いかかる年であった。この年六月大老井伊直弼は通商条約に調印、国論は沸騰した。安政元年に黒船に乗り込んだ松陰は条約問題が渦まく中で、依然、注目の人であった。
その影響もあったであろう、松下村塾の門を叩く若者は増え、塾は最盛期を迎えていた。天下は騒然とし、松下村塾もその波に洗われていたのだ。
※土日祝日は中村紀雄著「小説 楫取素彦」を連載しています。