人生意気に感ず「原爆と原発。原爆予告は本当だった」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「原爆と原発。原爆予告は本当だった」

◇永遠に人類史に刻まれるのが昭和20年8月6日の広島の出来事である。午前8時15分17秒、リトル・ボーイは広島上空で炸裂した。原爆の実験から投下までの動きは驚くべきものであった。7月16日、ニューメキシコの砂漠で実験成功。直ちにポツダム会談に臨んでいたトルーマンに伝えられた。大統領の態度は別人のように変化したと言われる。7月26日には南太平洋のテニアン島に運ばれ、8月6日、午前1時45分原爆機エノラゲイは広島に向け離陸した。9日には長崎にも投下。8月14日ポツダム宣言受諾を決定。翌15日正午、天皇の終戦を告げるラジオ放送となった。

 微細な原子から解放された膨大なエネルギー。それを発電に利用すれば原発となる。だから、原爆と原発は同根である。原発は一歩間違えれば大変なことになる。それを証明した事件が「3・11」である。原爆の悲惨は政府の誤った戦争政策が招いた。原発事故も政府と東電の人為的過誤だと国会事故調は指摘している。私は原爆の日に、原発についても本質的な議論をすることが重要だと思う。

◇原爆投下の結果は想像を絶する悲惨なものだった。それはアリゾナ砂漠の実験で十二分に分かった筈である。それにも関わらず、投下に踏み切った。いかに国家の運命をかけた戦争とはいえ、アメリカ国民に良心はなかったのか。ここでサイパンから放送される「原爆予告」は衝撃的であった。

 広島逓信局無線係の宮本広三という人は、サイパン島から放送される「こちらはアメリカの声です」を聞いていた。内容は多く空襲の予告で、日本の新聞のニュースと突き合わせるとまったく一致していた。この放送が8月1日「8月5日に特殊爆弾で広島を攻撃するから非戦闘員は広島から逃げていなさい」と数回繰り返した。上司に話すと「敵性放送を聞くとは何ごとか、デマをもらしてはいけない」と叱られた。予告の5日は、警戒警報と空襲警報が繰り返し出されたが爆弾は落とされなかった。一応の対応は示したということか。6月の朝、「何もなかった。デマにまよわされるとは何ごとか」と上司。その時、飛行雲と何か白いものが飛行機から離れるのが見えた。これだとひらめいて伏せた。ピカッと光り爆風で気絶。気が付いて外を見ると五層の天守閣がない。大変な地獄となった。一日違いの予告を生かせなかったのか。14万人の犠牲者を救えなかったのか。せめてものアメリカの良心を生かせなかったのか。(読者に感謝)