人生意気に感ず「重粒子線中止の本質。中国は大国か。原爆と原発」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「重粒子線中止の本質。中国は大国か。原爆と原発」

◇群大病院の対応に疑問を抱く。重粒子線治療に関し治療予定者も中止したことだ。今回の医療過誤で先進医療の特定病院制の指定取り消しを受けた根本には、人命軽視がある。予定者の治療まで中止したことには同様な問題があるように思えてならない。厚生労働省の要請がそこ迄厳しいとは思わない。権力や世論に弱い体質の中に、医の使命と体質を忘れた姿がうかがえる。

 がん患者の心は察するに余りある。死の渕に立つ者にとって、重粒子線治療は正に救いの神。ある予定者は「やっと救われたと思った矢先の中止とは余りに冷たい」と言っている。厚労省は、このような本末をわきまえない群大病院を適切に指導すべきだ。重粒子線装置建設に多額の金を出し、県民の命と健康に責任を持つ県も真剣に考えて欲しい。

◇最近の中国の姿を見ていると、本当に世界の「大国」かと言いたくなる。南シナ海の埋め立て、尖閣もそうだが、各国指導者が日本の被爆地、広島・長崎を訪問することに反対していることは重大である。

 核拡散防止を協議する国際会議の合意文書中の、各国指導者に被爆地訪問を要請するくだりが中国の反対で削除された。その言い分は「日本は第二次世界大戦の加害者ではなく被害者であるかのように描こうとしている」というもの。大戦の責任問題と核廃絶は全く別ではないか。

 日本は平和憲法を掲げ世界の平和を訴え続けている。その底には第二次世界大戦への反省がある。核兵器こそ平和を脅かす最大の敵。それが、適切に管理できない国に広がろうとしている。広島、長崎の究極の惨状は核の恐ろしさの真実を語る。これを見ないで核の恐怖は語れない筈。正に百聞は一見にしかずである。

 中国は国土も経済の力も大きい。しかし、人権については小国と言わざるを得ない。人権は人類の普遍的価値であり正義の源泉である。核に対する中国の対応には人権を軽視する姿勢と共通するものがあると言える。

◇日本が核被爆国としてその廃絶を訴える時、原発廃止を鮮明にしなければ、世界に対する説得力に欠けるし、一貫性がないことになる。原爆と原発は同根だからだ。「3・11」の事故は原発が人の力で制御し難いことを示した。広島・長崎と同じ悲劇を繰り返そうとしていると見られても仕方ない。(読者に感謝)