小説「楫取素彦物語」第4回
二、天保という時代、大塩の乱
久米次郎が生れた翌年、天保元年から天候不順が続き全国で大凶作となった。天保期の動乱は飢饉から始まったともいえた。原因たる天候不順は世界的な小氷期が原因であった。天候不順は地球上平等なのに、政治体制の違いが被害の大小を左右した。
日本は鎖国下にあったから、もとより外国の助けはなく、その上、各藩が孤立して鎖国状態だったから、一藩の窮状は直ちに深刻化する。ひどい地域は犬猫から垣根の縄まで食い尽くし、さらに進んで人相い食むという所まで出た。
追い詰められた農民は生きるために一揆を起こした。天保期の特色は全国的な一揆の多発である。天保二年、長州にも大一揆が起き参加者は十万人ともいわれた。
天保八年、久米次郎九歳の時、天下を揺るがす大事件が起きる。大塩の乱である。時を移さず萩にもその緊張感は伝わった。何やら大変な政治的出来事らしいが詳しいことは久米次郎には分からなかった。
ある日、兄剛蔵に呼ばれた。人気のない部屋であたりを憚るように剛蔵は切り出した。
「大変なことが起きた。心して聞け」
「何事ですか」
久米次郎は身を固くして兄の口元を見た。
「こともあろうに、幕府直轄の地で幕府の役人が謀反を起こしたのだ」
「エッ、誰が、何のために、そして結果はどうなったのでございますか」
久米次郎は身を乗り出して立て続けに聞いた。
「ウム、まず聞け」
※土日祝日は中村紀雄著「小説・楫取素彦物語」を連載します。